前回の続きです。
これまで、(1)ではこの演奏会のチケットを無事購入できたところまで、
そして、(2)では、この演奏会のアウトラインについてご紹介しました。
この間、インドのビザ無効化の話や東音からの演奏会中止のお知らせハガキなど、時期を失すると意味がなくなる記事を書いていたものですから、ちょっと間延びしてしましました。まぁ、そう言う事情もあるのですが、正直言って、どう記事にまとめるべきか迷いの多い演奏会でもありました。
演奏会の出だしの情景がはっきりとは思い出せないのですが、MCの吹浦さんが口火を切られ、協会代表の方からのご挨拶があったような気がします。そして、演奏を担う東京音楽隊が紹介され、拍手に迎えられながら、両袖から隊員のみなさんが入場して来られたんだと思います。
やはり人数は少なめで、27〜28名くらいだったでしょうか。
前回の記事にも貼ったステージの合成写真をご覧になればお判りの通り、今回は、指揮台の左前にはグランドピアノが置かれているため、クラリネット席は右側にシフトしていました。
いつもなら、ここでコンサートマスターの横野和寿さんがチューニングの音頭を執るのですが、今回横野さんの姿はありません。コンサートマスター役を勤めたのは、バスクラリネット奏者の清水恭子さんでした(女性の場合は「コンサートミストレス」と呼ばれます)。これまで、コンサート会場などで2度ほど言葉を交わす機会をいただきましたが、控え目ながらシャープな印象を強く受けました。
今回、コンサートミストレスを務める清水さんからは、気品と矜持が感じられ、私は思わず「美しい」と呟きながら、撮影できないことが残念でなりませんでした。
前々から素敵なプレイヤーだとは思っていましたが、今回目にした清水さんは、一つステージアップしたような魅力にあふれていました。
目を左に転じると、ピアノの左奥にはサックスやホルンの奏者が配置されています。そこに在川詩織さんの姿を見つけたのですが、え?なんか痩せちゃった? いつも健康的な笑顔を絶やさない在川さんですが、痩せちゃった感じがするんです。まさかコロナの影響ではないでしょうから、激務が響いてるのかな、ちょっと心配になりました。ただ、ステージ上ではライティングの影響で印象が随分変わりますから、私の思い過ごしなのかもしれません。
ところで、昨年7月、大阪で行われた「たそがれコンサート」に出演した舞鶴音楽隊の記事を書きました。
その中で、「ルパン三世」風のオーボエ奏者の方のことにも言及したのですが、お名前がよく聞き取れませんでした。「向井2曹」と聞こえたような気がします(後日、若井祐志さんであることが判明しました)。
その「ルパン三世」が今回のステージ上におられたので、驚きました。
ひょっとして、舞鶴から支援に? でも、終演後、隊員の方に「今回、他の音楽隊からの支援はありましたか?」とお尋ねしたところ「いえ、今回はありません」とのことでした。つまり、東京音楽隊に異動になったということです。
なんだか、今後の東京音楽隊のステージに、新たな魅力が加わった感じです。
チューニングが終わり、吹浦さんの紹介により樋口好雄隊長が登場すると、拍手が巻き起こりますが、今回の会場は、東京音楽隊のファンで埋め尽くされているいつもの演奏会とは異なりますので、あの熱狂的な拍手ではなく、盛大ではあるけれど柔らかい印象がありました。
第1部
オリンピックファンファーレ(1964年東京オリンピック)
最初に演奏されたのは、1964年東京オリンピックのファンファーレです。
私の席からは、ピアノの向こう側に並ぶ藤沼直樹さんらトランペットの皆さんによる立位での演奏でしたが、このファンファーレは本当に名作だと思います。どこかしら雅楽のような厳かな和の調べを感じさせながら、聴く者の気持ちを静かに高揚させてくれます。
1 ギリシャ共和国国歌
次に演奏されたのは、オリンピック発祥の地、ギリシャの国歌です。吹浦さんのお話では、本来、駐日特命全権大使コンスタンティン・カキュシス閣下の御臨席を賜る予定でしたが、新型コロナへの対応ということで、代理の方が出席されているとのことでした。残念なことではありますが、特命全権大使が万一感染でもすれば一大事ですから、やむを得ないことだと思います。
各国国歌については、世界中の全ての国歌を動画化するという壮大な試みにチャレンジしておられる「World National Anthems JP」さんの動画を埋め込ませていただきます。
昨年、遠洋練習航海に参加された三宅由佳莉さんが各寄港地で披露された各国国歌の動画で欠けている部分を補うために何度か使用させて頂きましたが、見事なチャンネルですので、是非お訪ねになってみてください。
なお、この演奏会では、前回ご紹介したソプラノ歌手の新藤昌子さんの他に、オペラの舞台で活躍されているメゾソプラノの北澤幸さん
やはりオペラで活躍されているテノールの新津耕平さん
そして、新進気鋭のバリトン・清水一成さん(公式ページが見当たりませんでしたので、清水さんを応援されている方のブログ記事をリンクします)
が国歌の歌唱に参加されました。
更に、友情出演されたのが、日本を代表するバリトンとして声楽界の大御所とも言える河野克典さんです。
錚々たる顔ぶれですが、国歌ごとに皆さんで歌われたり、ソロで歌われたりと構成のバリエーションが豊富だったものですから、各国歌ごとにどなたが歌唱に参加されたかは逐一記憶に残ってはいません。特に印象に残っている場面だけ、コメントをさせていただくことにします。
みなさん、あれ?と思われてますよね。中川麻梨子さんは?
もちろん、中川さんも歌唱に参加されましたし、独唱もされましたよ。それは後ほど報告させていただきます。
2 フランス共和国国歌
各国の国旗や国歌ごとに、吹浦さんの興味深い解説があったのですが、耄碌した頭には全てをとどめておく事などとてもできませんでした。フランス国旗についても大変興味深いお話があった気がするのですが…ごめんなさい( T_T)\(^-^ )
3 イギリス(連合王国)国歌
女王陛下の長寿を願い、神よ女王陛下を護り給えと歌われる連合王国の国歌は、我が国の君が代に似ているとのお話がありましたが、代が替わりリチャード皇太子が即位された暁には、国歌のタイトルが「God save the King」になるとのこと。それはそうだよなと思いつつ、英国は「女王陛下」が君臨する王国というイメージがあまりにも強く根付いているため、ちょっと意外な感覚でした。
また、国旗であるユニオンジャックは、英国が「連合王国」になる際、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのそれぞれの国旗を重ね合わせた図柄になっているのですが、よく見ると上下左右が対称になっていません。そのため、外国で逆さまに掲揚されるような事例が結構あるとのことでした。国連本部でさえ、そのような「事故」があったそうです。ですから、国際的なイベントの際には吹浦さんのような国旗の専門家の知見が必要なんだと思います。
4 パレスチナ国歌
大変複雑な背景を持ち、長らくイスラエルとの抗争が続いているパレスチナですが、1988年に独立を宣言して以来、国家承認をする国が次第に増加し、現在では日米欧豪などを除く多くの国に承認され、国連においても「オブザーバー国」として扱うようになっています。我が国が未だ承認していないパレスチナの国歌をエントリーしているところに、この演奏会の高い志が感じられました。何人も、自らの故郷を愛し、誇りに思うのは当然のことであり、その思いの象徴が国旗であり国歌なのですから。
5 スウェーデン王国国歌
6 オランダ王国国歌
7 パナマ共和国国歌
吹浦さんの解説の中で、「事前に打ち合わせはしてないんですが、ここでちょっと東京音楽隊の皆さんに質問してみたいと思います。この中で、パナマ運河を通峡した経験のある方はいらっしゃいますか?」と問うと、半数くらいが手をあげ、会場からは響めきが起きました。吹浦さんが続けます「たくさんいらっしゃいますね、海上自衛隊では毎年遠洋練習航海が行われていて、半年くらい世界中の国々を訪問するんですが、音楽隊の皆さんも参加されているんです」、いいPRになりました。
8 中華人民共和国国歌
プログラムではベトナムの順番なのですが、どうした理由か演奏会では中国が先に演奏されました。この曲は、新藤昌子さんの独唱だったと記憶します。もちろん歌詞をご覧になることなく、諳んじてらっしゃる中国語で見事に歌い上げられました。
9 大韓民国国歌
お隣の国なのですが、意外にも、私は韓国の国歌を聴くのは今回が初めてのような気がしました。
10 ベトナム社会主義共和国国歌
11 ドイツ連邦共和国国歌
吹浦さんからは、第二次世界大戦後、東西に分割されていたドイツが冷戦終結に伴い再び一つの国家に統合された経緯などの解説がありました。
この曲については、我が国におけるドイツ歌曲の第一人者である河野克典さんの独唱で歌われました。素晴らしいバリトンの響きです。こんな風に歌えたら、さぞ気持ちいいだろうなぁ
ここで吹浦さんから会場に向けた質問がありました。「我が国内で最も多く掲揚されている国旗は、どの国の国旗だと思いますか?」唐突な質問に、会場はちょっとざわざわしました。
「実は日の丸ではなく、イタリア国旗なんです」意外な言葉に会場は響めきました。
そして、その理由が解説されたのですが、一言で言えば我が国にはイタリアンレストランがたくさんあって、必ずイタリア国旗が掲揚されているからというわけです。そのあたりまでは、クイズなどでも目にすることがあるかもしれませんが、吹浦さんの解説は続きます。
第二次世界大戦で、我が国は日独伊枢軸同盟を結び連合国と戦いましたが、1941年、その一角であるイタリアは連合国との間で休戦協定を結んでしまいました。日独両国からすれば「裏切り行為」ですが、当時のイタリアの国内事情ではやむを得なかったのでしょう。
当時、イタリア海軍は極東艦隊を編成して、中国を拠点に活躍していましたので、同盟国である我が国の港湾を訪問することももちろんありました。イタリアが休戦に入った時にも、イタリア海軍の艦艇2隻が神戸港を親善訪問していたそうです。突然同盟関係が消滅してしまったため、去就に迷った艦隊は本国に指示を求めますが、「独自の判断で行動せよ」と突き放されてしまい、熟慮の末、両艦とも乗員を退去させたうえで艦底弁を開き自沈措置が取られました。乗員は、それぞれ自分たちの生きる道を探ったのだと思いますが、吹浦さんによると一部は帝国海軍に受け入れられそこで働いていたようです。海上自衛隊も同じですが、艦艇には専属のコックが配属されており、艦内でその腕を振るっています。そして、乗艦を失ったイタリア海軍のコックたちが、日本人にイタリアの食文化を伝えようと、イタリアンレストランを始めたのだそうです。これが我が国にイタリアンが浸透していくきっかけだったのでしょう。大変興味深いお話でした。
そのイタリア国歌が第1部の締めとなりました。
12 イタリア共和国国歌
吹浦さんの解説は、本当に興味深く面白い内容ばかりだったのですが、ほんのわずかしか記憶にとどめて置くことができませんでした。お伝えできないことばかりで申し訳ありません。
第2部でもまた、色々なエピソードがありましたが、長くなりますので、ここで一区切りつけさせていただきます。