あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

水無月の風情

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 緊急事態宣言を受け、私が務める会社では4月、5月を1/4態勢としたことは、別記事で書きましたが、6月1日からはフル稼働に復帰しました。週休6日制からのいきなりのシフトですから、先週は生活リズムを元に戻すのに苦労しました。暑い日が続きましたし(≧∀≦)

 そう、6月といえばもう夏ですよね。日本では梅雨の季節でもあります。また、西洋の風習から、この月に結婚を考える方も少なくないかも知れません。それと関係あるのかどうかわかりませんが、6月の第1日曜(つまり今日ですね)は「プロポーズの日」なんだそうです(日本だけ)。そんなの、誰も知らんじゃろ(≧∀≦)

 

 そんな6月ですが、我が友邦台湾では卒業の季節なのだそうです。

 日本統治時代には3月に卒業、4月に入学という日本式の学制が採られていたはずですが、共産党軍に追い落とされた国民党軍が台湾に落ち延び、現地を掌握していく過程で、大陸式の学制に変えられたのではないかと思います。

 さて、卒業式で歌われる定番曲は? と問われれば「旅立ちの日に」が間違いなく筆頭に上がるでしょう。三宅由佳莉さんも色々な場面で歌ってこれらましたよね。

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 この曲はもともと、埼玉県のある公立中学校の先生方が卒業生に贈るために作られたものです。

 荒れすさんだ中学校を、合唱を通じて立て直そうとされた校長先生と音楽教諭の3年にわたる地道な努力により、歌声が響き渡る明るい校風が蘇ったのだそうです。音楽教諭の発案で、3年前に入学した生徒たちの卒業式に歌をプレゼントしようと、校長先生が書かれた歌詞に、音楽教諭が曲をつけ、教員合唱団による1回限りの演奏が行われました。ところがこの曲に感動した生徒さんたちが、翌年から自分たちの卒業式で歌うようになり、それが何年もの時を経て全国に伝わり、今では日本中で愛される曲となりました。

 そのような背景を踏まえて聴くと、また新たな感慨が胸に迫ります。生徒を思う先生方の深い愛情が込められていることがよくわかるからです。つまりこの曲は、旅立つ生徒たちを教師の視点で捉え、その旅立ちを賀ぐ歌となっています。

 でも、私よりも上の世代の方々にとっては、卒業式の定番曲と言えば「仰げば尊し」ではないでしょうか。卒業を迎えるにあたり、厳しくも愛情を持って指導してくださった指導教諭に対する感謝の気持ちを込めたこの歌は、名曲でもありますし、今でも卒業式でこの歌を歌う学校は少なくありません。

 それでも、この曲が卒業式における圧倒的な定番曲ではなくなったのは、その歌詞に使用される古語が児童生徒には解りづらいということもありますが、何と言っても「仰げば尊し、我が師の恩」という、教師を賛美するような歌詞が気に入らないという方が父兄の間に増えたからではないかと思います。

 確かに、盲目的な教師礼賛は如何なものかとは思いますが、社会には建前の規範というものが必要だとも思います。その基礎を作る学校において、自分を指導してくれる教師への恩を示すという作法を学ぶことの意味は小さくないのではないでしょうか。

 近頃は高学歴社会で、生徒の親が高等教育を受けている場合が非常に多いものですから、教師に向かって「先生の出身大学はどこですか?」などと質問することにより恫喝する親も少なくないそうです。そのような親の態度がそのまま子に移りますから、学校教育が大変不安定な状態になるのも頷けます。

 私が子供の頃、教師は絶対的な存在でした。たとえ理不尽な理由で教師から叱られた場合でも、そのことを親に話せば「お前が悪い」と、拳骨を食らわされるのが落ちでした。親も、それが理不尽なことは分かっていますが、「理屈じゃねぇんだ」という世界があることを教えてくれたんだと思います。また、そういう風潮があるからこそ、教師自身も自らを省みて、より良い教師たろうと努力していたような気がします。

 考えてみれば、今よりはよほど生産的な関係だったような気もしますが、もうそのような環境に戻ることはないでしょう。

 実は今日、何の気なしにYouTubeを流している時に、そんな、恩師への感謝の心を歌った「仰げば尊し」が、今でも台湾で歌い継がれていることを知り、何か書かずにはいられない気持ちになりました。まずは動画をご覧ください。

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 どうでしょう、もちろん歌詞は日本語の直訳ではありませんが、自分を教導してくれた教師への感謝と、学んだ成果を活かして社会に貢献していく決意が歌われています。日本統治時代からの、非常に健全な心構えが歌われており、こうした教育現場のありようが現在の台湾の高度な発展を支えてきたのだと思います。そしてまた、このような「日本精神」というものが、我が国よりも台湾において継承されていることに、一面では喜びつつ、一面では恥ずかしい思いを抱きます。

 国民党独裁政権による反日政策が長らく続いたにも関わらず、「日本精神」が失われていない台湾。それに対し、戦後、その大部分を保守と言われる自民党が政権を担ってきたにも関わらず、「日本精神」が廃れつつある日本。

 その違いはどこから来るのでしょう。それは、我が国においては、日本人本来の精神を嘲り、貶め、排除しようとする輩が蔓延っているのに対し、台湾では、確固たる精神を欠いた繁栄など、亡国への一里塚に過ぎない、そして備えるべき精神は「日本精神」であるという強い認識が、代を継いで伝わっているからではないでしょうか。

 そんな風に考えながら、台湾の「仰げば尊し」を聴き、梅雨が兆しつつある水無月に格別の風情を感じたような気がしました。