遠洋練習航海の続きです。
ロサンゼルスを出港し、日本へと向かう艦隊ですが、最後の寄港地となったのが、ハワイのパールハーバーです。米太平洋艦隊の司令部が所在し、米太平洋軍のアジア〜中東戦略の最重要拠点の一つでもあります。
一方、日米外交史的観点から見れば、大東亜戦争における対米作戦の火蓋が切って落とされた地でもありますし、戦意高揚のためのプロパガンダだったとは言え、未だに世人の口に上る「リメンバー・パールハーバー」というスローガンは、日米間に不幸な時代があったことの象徴でもあります。
そんなパールハーバーには、我が帝国海軍の空爆により港内で轟沈した戦艦アリゾナが、記念艦として残されています。
水面下に沈んだ戦艦の艦体の上にこのような白い記念館が構築されています。
上空から見ると、よくわかりますね。
1941年12月8日、空爆を受けて沈み行くアリゾナです。
日米間に、過去このような戦闘が行われたことなど、想像もつかないほど、ハワイは、南国の楽園ぶりが卓越していましたが、ハワイでの楽しみなど、ここに書いても意味はないでしょう。
艦隊が停泊したのは、もちろん米海軍基地内の桟橋です。私たちは、例によって制服姿で街の散策に出かけようと、基地構内を歩いていました。向こうから米海軍の少尉(当時の私たちと同じ階級です)がガールフレンドと一緒に歩いて来ました。すれ違いざま、彼が我々に対して何かを言いました。喧嘩腰の物言いです。ガールフレンドが必死で彼を止めていました。「パードン?」と聞き返すと、早口で捲し立てるので全部は聞き取れませんでしたが、「このパールハーバーでお前たちがやらかした、卑怯な奇襲のことをどう思ってるんだ!」ということでした。
我々にも言いたいことはありましたが、私人として行動しているわけではないときに、この手の議論に軽々に乗るわけにはいかないのです。私たちは肩を竦めて、その場を後にしました。ガールフレンドに止められた少尉殿もそれ以上は何も言って来ませんでしたので、おそらく彼女の手前、単に意気がっただけなのでしょう。
でも、そのような意気がり方が意識に上るということに注目する必要があると思いました。
私が遠洋練習航海に参加したのは、1982年のことですから、終戦から37年後です。その程度の年月では、両国間の戦争が歴史になるには足りなかったのでしょう。
他方、以前別の記事でも書いたことですが、互いに威信をかけて互角の死闘を繰り広げたからこそ、憎しみとは裏腹の畏敬の念を持ち得たことも事実なのです。
上で紹介したアリゾナ記念館のすぐ近くに、やはり記念艦として保存されている戦艦があります。ミズーリです。大東亜戦争終結後、東京湾に停泊中の艦上において日本と連合国との降伏文書の調印式が行われた、あのミズーリです。
大東亜戦争、朝鮮戦争に参戦後、一旦退役するも再就役して湾岸戦争に投入され、1992年に再び退役、1999年から現在の姿になっています。
下のリンクは、大東亜戦争中、ミズーリ艦上で実際にあった、祖国のために戦うもの同士の誇りと敬意について教えてくれるエピソードです。ぜひご一読を。