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あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

「キエン・エス・エル?」

 遠洋練習航海の続きです。

 多数の日系の方々が見送ってくださるなか、ペルーのカヤオ港を出航した遠洋練習航海部隊は、再び針路を南に取り、チリのバルパライソ港を目指しました。

 ペルーとチリは隣国同士ですが、関係は良好ではないと説明を受け、レセプションでの発言等に気をつけるよう注意された記憶があります。

 訪問国の海軍とはそれぞれ、友好親善のために、なんらかの共同訓練を行いましたが、チリ海軍との間では、洋上給油を実施しました。チリ海軍の洋上補給艦から、洋上で燃料の供給を受ける訓練です。ただ、当時の海上自衛隊は、どの国の海軍との間においてもACSA(物品役務相互提供協定)を提供していませんでしたから、燃料供給のための蛇管を接続しただけで終了したのかも知れません。

 洋上給油がどのようなものかを知りたい方は、この動画を御覧ください。

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 さて、バルパライソに入港後、それまでの寄港地でもそうであったように、市内および近郊の史跡研修等のプログラムが用意されていましたが、それまでとは全く異なることがありました。私たち実習幹部や艦隊乗員を乗せた何台もの観光バスは、軍警察のパトロールカーに前後を護衛された形で出発し、しかも、信号はすべて青に設定され、ものすごいスピードで街の中を疾走していきました。

 当時のチリは、1970年のクーデターで権力を掌握したピノチェト将軍らの軍事政権下にあったため、軍の権威は絶対だったのです。だからと言って、街中が暗鬱であるとかそういうことはありませんでしたが、観光バスが疾走する様を見て、軍事政権の国なんだなということを肌で感じました。

 バルパライソの街並みは、ヨーロッパ風でとても綺麗でした。

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 私は、他の同期3人と連れ立って街中を歩いていました。一台の車が止まり、運転手のおじさん(当時はそう見えましたが、30代くらいの人)が、身振り手振りで乗れといいます。何しろスペイン語での十分な意思疎通はできませんが、一生懸命勧めるので、きっと街中を案内してくれるのだろうと、みんなで乗り込みました。

 彼がまず向かったのは、車の窓拭きで小銭を稼いでいるストリートチルドレンが集まる場所でした。彼は子供達に窓を全部洗わせると、驚いたことに、代金を要求する子供達を追い払い平気な顔をして発車しました。後ろでは怒った子供達が腕を振り上げながら何かを叫んでいました。

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「とんでもないおやじだな」と思いましたが、さらに驚いたことに、車のダッシュボードからリボルバーの拳銃を取り出し、「ヨ・ソイ・ポリシア」と言いました。この男は警察官だったのです。こんな男が警察官なのかと、なんだかがっかりしました。現在地がどこかもよくわかりませんでしたが、それ以上一緒にいたくなかったので、降ろしてもらい、我々は再び徒歩で街中の探検を続けました。

 ちょっと落ち着いた、青山の骨董通りのようなところを散策していたのですが、夕刻になり食事をしようということになりました。レストランを探しましたが、あたりには見当たりません。近くを通りかかった、身なりのよい母娘連れに、片言のスペイン語で、この近くにレストランはないかと聞きましたが、わからないとのことでした。

 その時、少しはなれたところで我々のやりとりを聞いていたおじさん(50代くらいだと思いました)が寄ってきて、何やら一生懸命しゃべるのですが、よくわかりません。

どうやらレストランまで案内してくれるようなので、我々はおじさんについて行きました。5分も歩かないうちに、感じのよいレストランに着きました。私たちは、おじさんに「ムーチャス・グラシアス(どうもありがとう)」と礼を言って、レストランに入り席に着きました。すると、驚いたことに、おじさんが一緒に入ってきて、我々と同じテーブルに座ったのです。

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 さっきまで、感謝していた私たちですが、なんとなく嫌な気分になりました。案内してくれたことはありがたいですが、同じテーブルで食事をするような仲ではないのですから、席を移って欲しいのですが、言葉が通じません。唯一思いついたスペイン語は「キエン・エス・エル?(あいつは誰なの?)」で、これを本人に言っても意味が通じないので、レストランの店主のところに行き、言ってみました「キエン・エス・エル?」。店主は、肩をすくめながら、知らないというような身振りで、関わりたくない様子でしたが、私がじっと顔を見つめていると、諦めたように、テーブルに向かい、おじさんに何やら話かけています。おじさんも何かを店主に言っていますが、内容はさっぱりわかりません。結局、おじさんは、少し悲しそうな目で私たちを見てから、立ち上がり、なんと店を出て行ってしまいました。

 そこで、「あ」と理解できたのです。おじさんは、最初から、レストランに案内してやるから俺に飯をおごってくれと言っていたのだと。そして、自分で食べるお金もないのだと。

 日本で、外国人から道を尋ねられ、正確に伝えることができなければ、多くの人はその場所まで案内しますよね。それが日本人の平均的な感性だと思います。でも、そこに落とし穴があったわけです。

 チリのおじさんも、同じように案内してくれたものだと勝手に思い込んでいた私たちは、無自覚のまま、おじさんに酷い仕打ちをしてしまったのです。

 あの時のおじさんの悲しそうな目は今でもよく覚えていますし、自分の常識で他人を測ってはいけないという教訓として胸に刻まれています。