あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

ミッドウェー沖での洋上慰霊祭

遠洋練習航海の続きです。

 パールハーバーを出港した艦隊は、一路祖国を目指し順調な航海を続けて行きます。帰国途上にあるのがミッドウェー島です。

 1942年6月5日から7日にかけて戦われた、ミッドウェー沖海戦。様々な教訓を残したこの海戦では、米海軍の戦死者は362名、帝国海軍側は、なんと3000名以上の犠牲を出しての大敗北でした。ここで失った4隻の空母と全艦載機、そして多くの熟練した兵員。以後の戦勢を大きく変える戦いでした。

(米艦載機からの雷爆撃に対し、回避行動をとる、我が空母「飛龍」)

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 我が練習艦隊は、ミッドウェー海戦域において、犠牲となられた多くの御霊をお慰め申し上げるため、「かとり」艦上にて洋上慰霊祭を行いました。下がその時の実際の写真です。

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  海上自衛隊の艦艇は、遠洋練習航海や、海賊対処のための進出・帰投経路上、過去に海戦が行われた海域ではこうした洋上慰霊祭を執り行っています。

 東京音楽隊の広報用ビデオに、2014年の遠洋練習航海部隊が、ガダルカナル沖で行なった洋上慰霊祭の模様が収められていましたので、その部分だけを抽出した動画を埋めて見ました。艦の航跡を見ればおわかり頂けると思いますが、取舵のまま、設定した慰霊ポイントの周囲を反時計回りに周回しながら儀式を行っています。上の「かとり」の古い写真でも同じような航跡が見えると思います。

 また、艦尾に掲揚されている自衛艦旗が「半旗」となっていることにも御注目ください。以前別記事でも紹介しましたが、慰霊や服喪の意思表示として行われる「半旗」は、世界共通の礼式です。

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 動画は、儀仗隊による、着剣捧げ銃(ちゃっけんささげつつ)から始まります。通常の捧げ銃は、小銃のみで行いますが、死者への慰霊のための捧げ銃の場合には、小銃の筒先に銃剣を装着(着剣)し、より篤い礼を捧げるのです。

 他の隊員は一斉に挙手の敬礼をし、そして音楽隊による「国の鎮(しずめ)」が厳かに演奏されます。

 その後、供物が海に投じられ、最後に義状態による弔銃(ちょうじゅう)発射が行われます。このような慰霊祭は洋上のみならず、全国各地で毎年行われています。4月15日にご紹介した佐久間艇長ら第六潜水艇乗員に対する慰霊祭もその一つです。

retcapt1501.hatenablog.com

 陸海空自衛隊の部隊は、このような慰霊祭を長年にわたり、各地で続けて来ましたが、報道機関の関心を呼ぶはずもなく、国民一般には全く知られていないと思います。

 これまでも何度か申し上げたとおり、大東亜戦争を決意し、戦って破れたのは、どこかの誰かじゃありません。我々日本人なんです。人ごとのように知らぬふりして過ごせるものではないでしょう。

 反省すべきは反省し、誇るべきは誇る。当たり前のことが、この国では全くできていないと思います。

 途方もなく長い間、意図的に隠され続けて来たことに、きちんと向き合うべき時が来ているのではないでしょうか。

 また、脇道に逸れました。ご勘弁をm(_ _)m

 さて、遠洋練習航海シリーズは、このまま晴美に入港すると終わるのですが、何故かこのシリーズは突然ニューヨークから始まりました。そうなんです、そもそもシリーズ化する気など全くなく、ニューヨークでのエピソードが書きたかったから書いただけなんです。ところが、一つ書くと、次々記憶が蘇り、勝手にシリーズになってしまったのでした。

 と、言うわけで、帰国する前に、前半のエピソードについても書いておこうと思いますので、もうしばらく続きます。