記事タイトルの「タブー」と聞いて、何を思い浮かべますか?
人それぞれ、様々なことを思い浮かべると思いますが、年輩の方であれば、ドリフターズ・加藤茶さんの「ちょっとだけよ〜」というギャグパフォーマンスを思い浮かべる向きも少なくないのではないでしょうか。
私が小学生だった1969年から、海上自衛隊で2等海尉となっていた1985年まで、16年間にわたり、TBS土曜夜8時のゴールデン枠で放送されていた「8時だよ、全員集合!」というバラエティ生放送番組で生まれたギャグパフォーマンスです。
平均視聴率27.3%で、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%(ビデオリサーチ調べ)というお化け番組でした。
大掛かりなコントが繰り広げられる中、突然「タブー」の妖しげな調べが流れ出し、親父姿の加藤茶さんが、ストリップ嬢よろしく「ちょっとだけよ〜」「あんたも好きねぇ」とやるわけです。お約束ネタですが、タブーがかかるだけで、会場(劇場やホールに観客を入れての生放送でした)は毎回大盛り上がりでしたし、テレビの前で観ていた私たちも笑い転げていました。
子供心に、母親に隠れて父が妖しげなところに行っているのではないかなど、ちょっと想像しながら、加藤茶さんの、滑稽なパフォーマンスを楽しんでいました。
ゴールデン枠、しかも全国の子供たちが視聴する番組でこのような妖しげなギャグパフォーマンスが毎週毎週放送されていたなんて、信じられますか?
今、このようなものをゴールデン枠で放送しようものなら、苦情が殺到し、番組担当は犯罪者のように扱われ、謝罪会見でもさせられそうですよね。
高度成長期でもあり、世の中が大らかだったと言えばそれまでですが、もう少し本質的な違いがあるような気がします。
当時の親たちは、「こんなものを見たくらいで、自分の子供がおかしな方向に向かうはずがない」という、我が子への揺るぎない信頼があったように思います。そのことは、子供自身が親から感じますし、だからこそ親への信頼も芽生えるし、親の信頼を裏切りたくないという気持ちも生まれます。
モンスターペアレントなる言葉が使われるようになったのは随分と前の話ですが、彼らは、何故モンスターになってしまったのでしょう。
ここからは私の想像です。
彼らは別に、いわゆるクレイマーというわけではないのではないかと思います。単に、「我が子には最良の環境をいつでも与えたい」という、純粋な親心ではなかろうかと思うのです。それはそれで納得きますし、世の親なら多かれ少なかれ同じことを考えるでしょう。
問題は、我が子が死ぬまで面倒を見れもしないくせに、子供に、現実社会との向き合い方を教えないことです。その根底には、我が子への信頼の欠如があるに違いないと思っています。様々な嫌なことや矛盾に直面しても、我が子はそれを乗り越えていけるはずだという信頼がないから、我が子に不利な環境は「変えさせる」、我が子が失敗するかも知れないと思えば「転ばぬ先の杖」を突き続け、失敗という貴重な体験を奪う、という過ちを、「親の務め」と思い込んで堂々とやってしまうのでしょう。
現実社会は、矛盾に満ちています。矛盾に満ちてはいますが、個々の人間では絶対に実現できない様々なサービスを提供して、個々の人間をサポートし、守ってくれる存在でもあります。小売り一つとってみても、物を作り、それを流通し、管理し、売ってくれる、そんなサービスがなければ、いくらお金を持っていても、自分で作らない限り、何一つ手に入れることはできません。だから、物を買う人は店員に対して、レストランで食事をする人はウェイトレスに対して、「ありがとう」というべきなのです。
そういった、社会の成り立ちについて教えることなく、「あなたはいつでも正しい。悪いのは周りだから」と言い続けることにより、子供から社会への信頼という、とても大切な資質を奪い去ってしまっているのではないでしょうか。
そのことが、我々が生活を委ねているこの社会を、静かに蝕み、脆弱化しているのであろうし、結局は我が子の暮らしを危うくしているわけです。笑い話ですよね。
我が子を思いすぎるあまり、我が子を窮地に追い込む。
我が子のためと思い違いをして、社会に牙を剥き続ける親たちは、過ぎたるはなお及ぼざるが如しという、先人のシンプルな教えを軽んずるという大きなタブーを犯しているのではないでしょうか。