あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

社会への信頼

 フランス政府は昨日、全国を対象に違反者への罰則を伴う外出禁止令を発令しましたね。もちろん新コロナの感染拡大防止のためです。今回の感染拡大に対する国家としての脅威認識が最高度に達したということでしょう。マクロン大統領は、ウイルスとの「戦争状態」にあるとの認識を示しています。

www3.nhk.or.jp

 米国でも、サンフランシスコやニューヨーク、シリコンバレーなどで外出禁止の措置が取られているようですし、全米で、銃弾が通常の5倍も売れているそうです。社会活動が全般に抑制されていく中で、生活物資の入手が困難になった場合、略奪や強盗が横行することが懸念されているのでしょう。銃に絡んだ事件が結構な頻度で発生しているにも関わらず、米国内で銃規制への取り組みが大きな支持を得ることができないのは、まさにこのような事態に直面した時に「自分の身は自分で守る」のが基本であるとの認識が広く共有されているからです。

www.tokyo-np.co.jp

 我が国でも、感染そのものの他に、このままではいずれ生活物資が品薄になるんじゃないか、という心配はあるかも知れません。でも、だからと言って強盗や略奪が横行するなんてことを心配している方はほとんどいないのではないでしょうか。

 困難に直面しているのは自分だけではない、みんな同じだ。自分も我慢しているけど、他のみんなも我慢してくれているんだ。

 「おたがい様」とか「おかげ様」と、「様」までつけて呼び習わすこの心のありようはまた、「誰が見ていなくても、お天道様が見ていなさる」という公徳心が共有されているという感覚、詰まるところ、自分が属しているこの社会への揺るぎない信頼に根ざしているに違いないと思います。そして本来、人間が社会を形成してきた究極の目的はそこにあったのではないでしょうか。

 今回の事態についても、政府の初動の対応への批判もありますし、その後の対策への疑問も多く語られていますが、それでも、社会を揺るがすような深刻な混乱が起きるでもなく、皆さん信じられないほど淡々と日常生活を継続しておられるように見えます。

 フランスのメディアが、「日本ではなぜ感染者の増加が、あんなに抑制されているのか」と驚きを込めて報道し、検査の施行が限定的であるため感染者が把握されていないだけだとする専門家の意見も紹介しつつ、究極的には日本人一人一人が強制されるまでもなく、自分たちにできる対策をきちんと行なっているためであり、そのような成熟した社会を築き上げてきたからだとしています。

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 それは一つの見方であり、実際に我が国で感染が抑制されているのかどうかは、もっと時間を経なければ評価することは難しいでしょう。でも、少なくとも、外国人から見ても、各々が自分の責任を果たし、他者への配慮を欠かさない、信頼に根ざした社会というものの恩恵を受けていることは間違いないと思います。

 

 そんな価値観が共有されている社会ですから、皆が困難に直面しているときに、自分だけ抜け駆けするような行動には批判が向けられ勝ちです。

「こんな時に、自分勝手なことをして、周りの迷惑を考えないのか」

 あるいは、

「困っている人の足元を見て、ぼろ儲けするとは言語道断」

 

 そうですね、このところ、極端に品薄で、多くの人々がその入手に奔走しているものと言えば、マスクと消毒用アルコールでしょうか。店頭では正規の価格で売られているのでしょうけど、いつ入荷するかわからない状態がずっと続いていますよね。

 他方、ネット通販では、これらの物資が高値で取引されているようです。もっとも、通常価格の何倍もするような値がついている訳ではないところに、「お天道様」効果が効いているのかも知れません。 

www.amazon.co.jp

 とは言え、こういった「商魂」には眉を顰める向きも少なくないのではないでしょうか。でも、敢えて批判を恐れずに言うならば、それもありかなと私は思います。

 

 あらゆるものが自粛の対象となり、国内経済が低迷を初めています。業界の調査によれば、飲食店の9割が前月よりも売り上げが大幅にダウンしているとのこと。それはそうでしょう。このような時でも、極端に需要が高い物資があるのならば、多少高値を付けようが売りさばけばいい。国内のどこかに活況を呈する市場が存在することが重要ではないかと思うからです。

 そうして大きな利益をあげる者があればこそ、この事態が収束した暁に、国の経済の牽引役を期待し得るのではないでしょうか。

 必要な物なんだから、お金を使おう。それはやがて巡り巡って自分に帰ってくる。

「金は天下の回りもの」

 それもまた、社会への信頼の一局面ではないかと、私は思います。