新年早々、何とも無粋なタイトルで申し訳ありません。
と、言っても、この言葉はもちろん私が吐いたものではありませんのでご容赦のほどお願いします。でも、どうしても釈然としなかったので記事にさせていただきました。
暴力装置、どこかで聞いたことがありますよね。
そうです、民主党政権の頃、内閣官房長官であった仙谷由人氏が国会答弁で、自衛隊のことを「国家の暴力装置」と呼んで、大問題となったことがあります。
でも、あの時私はとても違和感を覚えました。仙谷さんにではなく、その発言を批判している方々やマスコミに対してです。
軍隊や警察が国家の暴力装置とされるのは、政治学などにおける国家機能の分類に用いられる用語であって、そこに批判や差別の意味はありません。単に国家が暴力を行使する場合にそれを担うモジュールとして「装置」と呼ばれているだけのことです。
そんなことを優秀なマスコミの皆さんが知らないわけはありません。それなのに、論理的かつ理性的報道を敢えてせず、国民(彼らからすれば、操縦しやすい愚民)を煽りに煽る姿をみて、平素の報道内容も50歩100歩かと理解し、私は新聞やテレビの報道を全く見なくなりました。
それはさておき、暴力装置という言葉は、わが国においては、左翼人士がよく使っていたものですから、なんとなく左翼用語のような色あいがつけられていたのは確かなので、極左の活動家と見なされている仙谷氏が使ったため色眼鏡で見られたということなのでしょう。
前置きが長くなりましたが、自衛隊は我が国の「誇るべき暴力装置」です。日本国民が、他国の横暴・狼藉に対し隠忍自重を続けた末、遂に堪忍袋の緒が切れたと感じ、国家として暴力をもってしてもこれを訊すべしと決意した時に使用される「国家の暴力装置」が自衛隊なのです。
国家の暴力装置の意味が御理解いただけたでしょうか。
では本題に入ります。
私は、このブログを運営する傍ら、と言いますか、このブログの記事に埋め込み動画を供給するために、YouTubeにアカウントを持ち、いくつかの動画をアップしています。
その一つが、「三宅由佳莉さんが歌う行進曲『軍艦』」という動画です。
この動画は、もともと私の記事への埋込用でしたので、皆様に見てもらうことは想定してしていなかったにもかかわらす、意外にも人気があり、昨年の10月14日にアップして以来、2ヶ月半で再生回数は10万7千回を超えています。
いつものことですが、たくさんのコメントのうち、多くは絶賛するもので、いくつか批判コメントがあります。
批判コメントでも「聞くに堪えない酷い出来」のような内容は、辛らつですし、心地よい訳ではありませんが、個人の感じ方ですから、なるほどと思います。
ところが、昨夜こんなコメント投稿がありました。
「暴力装置が歌など歌うな」
これは、批判コメントというよりも、言論封殺を意図するコメントに見えましたので、投稿主の意図を確認するため、次のように返信しました。
「コメントをありがとうございます。暴力装置がが歌を歌ってはいけない理由を論理的にご説明ください」
言論の自由、表現の自由を脅かしかねない発言ですので、ブログ管理者として意図を確認する必要があったわけです。もちろん、「暴力装置」に批判や差別の意味などないことを前提としています。つまり、「自衛隊は歌など歌うな」という意味ですから、そのような主張をされる意図を論理的に説明して下さいとお願いしたわけです。
当然、論理的な回答が得られるものと期待していたところ、不思議なコメントが掲載されました。
「い」「や」「だ」「こ」「と」「わ」「る」の7文字が縦に並んだコメントでしたので、次のように返信しました。
「返信ありがとうございます。縦書きでのコメントされたのでしょうか?仮にそうだとすると、いやだこと、というメッセージと理解します。つまり、論理的な説明はしない、もしくはできないとの理解でよろしいでしょうか?だとすると、元々のコメントは、主張する根拠もなく、単に誹謗中傷のみを目的とされた、実質的な意味のない、無駄なコメントという理解でよろしいですか?」
ええ、元々のコメントの意義を明らかにする必要ががありましたので、率直にに質問させていただきました。
これに対する回答が、
「しないものはしない。それだけ。どう解釈しようがご自由に。」
どうでしょう、こんな無責任なことってあるでしょうか。
そもそも、論戦を受ける勇気もなく「どう解釈しようがご自由に」と逃げる程度の気概しかないなら、なぜわざわざ他者の言論の自由を認めないとする意見を公の場で主張したのか理解に苦しみます。
自分の思想や意見を公に表現する自由は誰にも保証されています。しかし、誰かの権利や自由を認めないという意見を吐く以上、その理由を論理的に説明する義務がが付帯するのは当然ではないでしょうか。でなければ、自分の言論の自由が保証されている論理が破綻します。
そんなこともわからずに、匿名性の陰に隠れて、卑怯な言論活動をする人間を私は許せません。上記の恥ずべきやり取りは、当面そのまま世間に晒しておきます。
言論の自由を愚弄する者への私なりの抗議です。