今回は、ちょっと古典を題材に書いてみようと思います。
皆さん、贔屓の歌人とか詩人はいますか?
私の場合、漢詩なら李白、和歌なら在原業平が群を抜いてチャンピオンです。私が思うに、この二人には共通点があります。ちょっと人を食ったというか、世間をびっくりさせたくて仕方ない、そんな稚気満々な感じが伝わって来るのです。ダイナミックでユーモアがあり、意表を突いた発想も、とても似ている気がします。
古典なのに、全然古臭さを感じさせないのは、二人とも若々しい精神が迸っていたからなのかも知れませんね。私は、どうしようもなく惹きつけられます。
今回取り上げるのは在原業平さんの方です。六歌仙の一人であるとか、その官位官職がどうであるとかには全く興味がありません。ただ、その作風に惚れ込んでいるだけです。
ちょっと脱線してもいいですか? いつものことですけど(≧∀≦)
機会があったら、いつか書きたいと思っていたことがあるのです。この記事がその機会として相応しいのかどうか疑問もありますが、書きたいので書きます。ドリカムの話です。
ドリカムの「朝がまた来る」という曲を初めて聞いた時も、李白や業平の詩歌を読むときと同じように「おお」と思いました。メロディが美しいのは勿論ですが、出だしの歌詞に引き込まれたのです。
同じような一日が今日も始まる (うんうん、だろうね)
となりの人が空見上げて舌打ちする (え、何かトラブル?)
巨大な交差点に傘が咲いていく (うわ、そういう事?)
私の脳裏に浮かんだのは、すぐとなりに立つスーツ姿の人を捉えたカメラが頭上にまわり、ぐーっと引くと、渋谷のスクランブル交差点に次々と色とりどりの傘が開き始める映像でした。わずかの文字数で、こんなイメージが伝えられるなんて、やっぱ才能あるなぁ。でも、昔から和歌という表現様式に慣れ親しんできた日本人のDNAが根っこにはあるような気がします。
ライブ動画を貼っておきます。
さて、業平です。
詳しい話は忘れましたが、何か不祥事(色恋沙汰か)があって、都から東国へと追われることになりました。途中、現在の愛知県あたりでカキツバタを見て「か・き・つ・ば・た」を折り込んで詠んだ折句など、腹が立つほど素敵な出来で、業平のドヤ顔が目に浮かびます。
唐衣(からころも)
きつつ慣れにし
妻しあれば
はるばるきぬる
旅をしぞ思ふ
あー、腹立つ(≧∀≦)
そんな業平が東国で詠んだ歌として最も有名なのが次の句ではないでしょうか。スカイツリーのすぐ近くにある「言問橋」の由来ともされる句です。
ちなみに「都鳥」とは「ゆりかもめ」のことらしいです。
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
この、大仰な出だしと、乙女チックな結末のミスマッチが、読む者の感性に揺さぶりをかけてきますよね。現代語訳はたくさんありますが、冒頭でも申し上げた通り、稚気満々な業平の気持ちになって、私なりの現代語訳に挑戦してみました。異論はあると思いますが、チャレンジですのでご容赦のほど。
(かぴたん流現代語訳)
おい、そこの鳥!
そう、お前だよ、ちょっとこっちに来い
ん? 何ビビってんだよ
え? アホか、焼いて食ったりしねぇよ、いいからこっち来い
お前さぁ、「都鳥」っていうらしいな、随分大層な名前じゃねぇか
都を名乗るくらいだから当然京の都の事情には詳しいはずだよな?
だったら言ってみろ、俺の大切なあの人はどうしてるんだよぉ
はぁ…お前に言ってもしょうがないか
愚痴聞いてくれてありがと
業平は、その溢れる才能と、おそらくダイナミックで型にハマらないな性格が受けていたのではないかと思います。そんな業平らしい、ダイナミックな作品を一つ見てみましょう。「ちはやぶる」は百人一首を題材とした映画のタイトルにもなっていましたね。神などを導く枕詞です。
ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは
どこからそんな発想が生まれてきたんだよ、と言いたくなりますね。目にしている美しい風景を直接賛美するのではなく、途轍もない発想で、「どうだ!」とぶつけて来る。そこが魅力です。
(かぴたん流現代語訳)
マジか!こんなん誰でもびっくりするだろ
何でもありの神話の世界でも聞いたことないわ
だってさ、竜田川の水、丸ごと紅葉色にくくり染めするとか、あり得ないし
どんだけデカイ奴なの?
あ、紅葉が水面に映ってただけか
なんちゃって
ちょっと調子に乗りすぎか
最後は、教科書に必す取り上げられる歌ですから、学校で習ったのを覚えていますよね。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
世の常識とは真逆な出だしで「ハッ」とさせ、最後には「なんだそういうことか、わかるわー」と安心させる憎い演出です。
(かぴたん流現代語訳)
あー、イライラする
咲きそうで咲かない、いつになったら咲くんだよ、桜ちゃんヨォ
毎年これだよ、勿体つけてんじゃねぇよ、ったく
花見の予定が立たないじゃん
いっそのこと桜なんかこの世から無くなっちゃえばいいのに
そしたらさぁ、こんなにイライラしないでゆったり過ごせるじゃん
なんてね、嘘でーす
早く咲いてくれ
如何でしょうか、このブログのキャッチコピーは「海自OBによる偏見御免徒然あれこれDiary」です。ページトップのタイトルの下に表示されています。
と言うわけで、これ以上ないくらいの偏見に基づく現代語訳に挑戦してみました。
でも、多くの方はこの記事の本当の主題はそこではないことに、既にお気づきのことと思います。
そう、タイトルにある「のどけからまし」です。
三宅由佳莉さんが、遠洋練習航海に参加されている間、国内で歌声を聴く機会がありませんでした。きっと寂しい思いをされていた方も多いと思いますが、何しろ国内におられないわけですから諦めもついて、逆に心穏やかに過ごせていたのではないでしょうか。それに、練習艦隊の航海計画は公表されていますし、寄港を重ねるにつれ、各寄港地での活動もだいたい予想できるようになりました。たまに動画などが見つかれば、それはそれでラッキーという感じでしたよね。
ところがです、帰国された途端、その動向を知る術がなくなりました。ターゲットロストの状態です。いつ現場に復帰されるのかどころか、原隊である横須賀音楽隊に戻られたのかどうかすら確認できません。
なんとなく落ち着きませんよね、そんなことを考えている時に頭に浮かんだのが業平の歌だったと言うわけです。
そこで、私も一句
なかりせば のどけからまし さりながら やうやうゆかし 有明の月
(なければ、心穏やかに過ごせるのだろうけど、細って消えてしまった月が見たいと言う気持ちが増して来るばかり)ちなみに本日の月齢は28.4、ほぼ闇夜です。
お粗末m(_ _)m