あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

三宅由佳莉さんのことを「書く」ということ

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 私のブログは、「あれこれdiary」とはいいながら、三宅由佳莉さん関連の記事がとても多く、「三宅由佳莉さんの...」シリーズは全体の半分以上を占めています。

 特に、今年3月以降の記事をみると、この記事も含め、24本中、実に20本が「三宅由佳莉さんの...」シリーズです。数えてみて、自分でも驚きました。

 そんな、数あるシリーズの中で、「三宅由佳莉さんの」と言いながら、私自身のことを書いている記事が3つあります。

 それらは、それぞれ理由は違いますが、三宅由佳莉さんを応援するこのブログについて、ふと疑問を感じた時に書いたものです。

 

 「三宅由佳莉さんの…の原点」は、このブログは何か役に立っているのかなという疑問を感じた時に、心を整理するつもりで書きました。

retcapt1501.hatenablog.com

 「三宅由佳莉さんの…シリーズ」は、なかなか記事作成が進まないなぁと感じた時に現状を整理してみようとの思いで書きました。

retcapt1501.hatenablog.com

 「三宅由佳莉さんのファンとして」は、自分は本当の意味で三宅さんを応援しているのかな、との疑問を感じた時に書きました。

retcapt1501.hatenablog.com

 記事の日付を見て面白いなと思ったのは、昨年の12月以降、だいたい1ヶ月ごとに、何か疑問を感じていることです。

 今回も、時期的には前回から1ヶ月ちょっとですが、何か疑問を感じているわけではなくて、冒頭にも書いたように、ここのところ「三宅由佳莉さんの」シリーズばかり書いているのは何故なのかなという点について自問してみようと思ったのです。

 

 このブログを始めたきっかけは、三宅由佳莉さんの歌に出会ったことで、気づかないうちに自分が抱えていた大きな喪失感に気づかされ、そこから時間をかけて救い出して頂いたことへの感謝というよりは、畏敬の念をどうしても書き残したい、誰かに伝えたいという強い思いに駆られたからでした。

 ですから、仕組みも作法も知らないままブログを立ち上げ、おずおずと書き始めたのでした。わずか半年余りなのに、随分前のことのようにも思えます。

 そんな風に始めたこのブログですが、記事を読んでくださる皆様との交流を重ねるうちに、私と同じ思いの方が本当に大勢いらっしゃることを知りました。

 今の私にとって、三宅由佳莉さんのことを「書く」ということは、自分の心を満たすだけでなく、私と同じ想いを抱いている多くの方々の心にも共鳴していくことなのではないかと考えています。

 先に書いたとおり、何度か心の迷いを抱いたことはありましたが、三宅由佳莉さんという、得難い存在について、日々書き綴っていけることが、素直に「喜び」であると、強く感じることができるようになったからこそ、このところ「三宅由佳莉さんの」シリーズがこんなに続いているのだと思います。もう、迷いはありません。

 私事にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。