あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

今日は何の日?(12月25日)

 私たちの脊柱(いわゆる背骨)は、7個の頚椎、12個の胸椎、5個の腰椎のほか仙椎や尾骨で構成されており、各椎骨の間には「椎間板」があります。それが何らかの理由ではみ出し、脊髄や神経根を圧迫すると、その神経部位が支配している領域に痛みや痺れが生じたりします。いわゆる「椎間板ヘルニア」というやつです。

 そして、椎間板がはみ出していることを「膨隆(ぼうりゅう)」と呼ぶのですが、英語の「Bulging(バルジング)」あるいは「Bulge(バルジ)」と言う言葉もよく使われます。

 今日取り上げるのはその「バルジ」ではなく、「バルジ大作戦」についてです。

 ご存知の方も多いとは思いますが、「何のこと?」な方のために簡単にご紹介したいと思います。

 第二次世界大戦における欧州戦線は、1939年9月のポーランドへの電撃的侵攻を皮切りに、ドイツ軍が2年程で欧州から北アフリカまでを席巻しました。しかし、1941年からの対ソ連戦では緒戦を除き難渋を強いられ、1943年にスターリングラード攻防戦に敗れるまでには、膨大な資材や兵器を消耗したほか、10万人以上の兵員が投降して捕虜となるなど、人的資源に余裕のないドイツにとっては戦略的な大打撃となりました。また1944年6月には、「史上最大の作戦」とも呼ばれる、連合軍のノルマンディ上陸作戦を許すこととなり、最終的には200万人とも言われる大兵力を迎え撃つことにもなりました。

 このように、東西両線戦において押し戻されたドイツ軍ではありましたが、連合軍にしても、ソ連軍にしても、進撃に息が切れ、戦線が膠着傾向となった機会を捉え、より良い和平条件を引き出すことを目的に戦われたのが「アルデンヌの戦い」です。

 大戦初期の1940年5月、ドイツ軍はアルデンヌ高地を経由して大兵力の機甲軍団をフランスに侵攻させ、瞬く間に英仏軍を打ち破りました。

 「アルデンヌの戦い」とは。そのアルデンヌ高地に、再び機甲兵力を主力とする兵力を侵攻させ、連合軍の兵站拠点であったベルギーのアントワープを攻略する作戦でした。制空権を奪われていたドイツ軍は、敵の航空作戦が困難となる冬を好機と捉え、1944年12月16日に作戦が発動されました。

 ドイツ軍には反撃の余力などないとタカを括っていた連合軍は、不意を突かれ、またドイツ軍の狙い通り冬季の悪天候で航空兵力が使用できなかったこともあり、当初は一気に押し込まれますが、やがてドイツ軍の補給線が伸び切り、米軍の増援兵力が投入されたことにより、戦線は、中央部が大きく連合軍側に突出した形で膠着することになりました。

 突出している、つまりはみ出している部分は「バルジ」と呼ばれると先ほど書きました。このアルデンヌ作戦における戦線のバルジ部分に対し、年が明けた1945年1月、連合軍の猛攻撃が行われ、結局ドイツ軍は敗退することになりますが、この戦闘が「バルジ大作戦」あるいは「バルジの戦い」と呼ばれるものです。

 そして、「バルジ」を形成して戦線が膠着したのが、今から76年前のクリスマスに当たる1944年12月25日、作戦発動から9日目のことでした。

 さて、これまでもいくつかの記事で、私は海上自衛隊のOBではあるけれど、中学・高校の頃には戦車、特に第二次世界大戦中のドイツ軍の戦車が大好きだったと書いてきました。今でもやはり変わらぬ思い入れがあり、YouTubeなどで往時の戦車が現在もなお力強く走行する動画などを見つけると見入ってしまいます。

 今回、戦車戦でもあるバルジ大作戦のことを書こうと思い、何か参考になる資料はないかとネットで検索してみたところ、「Panzerwrecks」というシリーズものの洋書が目に留まりました。

 Panzerとはドイツ語で戦車を意味します、そしてwreckは英語で難破、遭難などを表しますので、「Panzerwrecks」とは戦闘で「擱座(かくざ)した戦車」つまり、破壊されて残された戦車を現すタイトルなのでしょう。

 その「Panzerwrecks」の第16巻が「Bulge」、そう「バルジ大作戦」を扱っていたのです。早速取り寄せてみました。

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 表紙を飾るのは、放棄されたドイツ軍のタイガーⅠ型戦車の前で敵状偵察を行っていると思われる米軍の兵士たちですが、この本の中には夥しい数の写真が掲載され、それぞれ英語での丁寧な解説がつけられています。

 仄聞するところでは、このシリーズに掲載される写真は、ほぼ未発表の写真、つまりこのシリーズによって初めて世に出た写真ばかりということです。第二次世界大戦当時の様子を撮影した写真は、まだまだ世界中に人知れず埋もれてるはずですが、発行元の「Panzerwrecks社」では、世界中を取材して回り、新たな写真の発掘と公表を続けているようです。

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 ↑溝に嵌って擱座したと思われるドイツ軍のパンサー中戦車。脱出の努力も虚しく、最終的に放棄されたのでしょう。

 

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  ↑やはり放棄されたパンサー中戦車をバックに撮影されたフランス人の記念撮影なのでしょうか。

 

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  ↑こちらは被弾のためか、履帯を失って放棄されたヤークトパンサーですね。

 

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  ↑斜面に擱座するⅣ号戦車を米軍の兵士たちが確認しているようです。

 

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 ↑こちらもⅣ号戦車ですが、被弾して破壊されているようです。 

 

 ここに転載した数枚の写真だけでも、大変価値のあるものだと思いますが、連合軍の戦車も含め、この戦いに投入された戦車や車両の姿から見えてくるものがたくさんあります。

 戦争の悲惨さや非生産性を感じる方ももちろんいらっしゃるでしょうが、そういった当然のことは取りあえす捨象しても、様々な価値が見出せます。

 戦史研究家にとっては、戦闘の経緯等のより精密なトレースの助けになるでしょうし、兵器の開発者にとっては、破壊や故障の様子から技術上の新たな発想を得る縁となるかも知れません。また軍人特に戦車乗りからすれば、生々しい教訓を与えてくれるものでしょう。

 でも、最大の受益者はプラモデルのメーカーや、プラモデル制作を趣味とする方々かも知れませんね。完全な状態では見えない部分のディテールが、破壊された写真から判明することもあるようです。

 擱座した戦車と言う視点で、世界中に眠る写真を収集し、それを編集して公開するという地道な努力の結果、このような価値あるシリーズが残されていることに、まずは敬意を表したいと思います。だって、「Panzerwrecks社」の編集担当は(そして恐らく会社の実体そのものが)、たった一人なんだそうですよ。

驚きです(╹◡╹)