あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

今日は何の日?(12月8日)/2020年版

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  このブログを開設以来、毎年この日には同じタイトルの記事を書き続けていますので、古くからお読みの方には、もうお馴染みではないかと思います…と信じます(≧∀≦)

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 そうですね、12月8日は、尊くも、我が国の開戦記念日です。「尊くも」などと書くと、「お前は戦争賛美者か」と、御多分に漏れぬ皮相的な批判を浴びるのかも知れませんが、そんなものは取るに足りません。

 国家が国民に提供すべき主たるサービスは、国民国家としての「生存」と「繁栄」であると私は思っています。つまり、ただ単に生きながらえて豊かであればいいという訳ではなく、自らの歴史と文化に根ざした、誇らしい「生存」と「繁栄」である必要があると思うのです。

 我が国は、あの頃も今も、決して好戦的な国ではありません。好戦的な人がいないという意味ではありません。概して穏やかで争いを好まないのが古来からの我が国の国柄であろうと思うということです。

 そんな我が国が、世界の列強を相手に大立ち回りをするには、よほどの理由がなければならないと私は素直に思いますし、現実にそうだったはずです。ですから、本気で平和を維持したいと思うのなら、8月15日ではなく、12月8日に注目すべきですし、戦争の悲惨さだけを声高に叫んで、何故列強と干戈を交えるに至ったのかを真剣に学ばないのであれば、結局同じ轍を踏むことになるのではないか、と本シリーズの最初に申し上げたのです。

 もっとも、いつもそんなことばかり考えていられるはずもありませんが、年に一度、この開戦記念日には、そのようなことに思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

 2017年版にも掲載させていただいた、開戦の詔勅を再びここに貼らせて頂きますので、よろしければ聞いてみてください。

 当時の日本が置かれていた絶望的な情勢がよくわかると思います。

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 そしてまた、詔勅である以上、形式的には昭和天皇の名において下されてはいますが、これは日本国民の意思であり選択であったわけです。「当時の」日本国民の意思という意味ではありません。歴史的に過去から未来へと途切れることなく続く、日本国民の意思が「あの時」示されたという意味です。

 ですから、あの戦争を選択しなければならなかった先達の苦衷というものを、私たちは他人事のように捉えるのではなく、我が事として把握する必要があるのではないかと思うのです。

 開戦記念日が、そのような日になればいいなと個人的には強く思っています。