あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

ルナ・クルーザー

 「ルナ」とは、もともとローマ神話に登場する月の女神のことなのですが、現在では多くの言語で「月」そのものを表す言葉としても用いられています。響きも良いので、我が国でも女性の名前として決して珍しくありませんよね。

 昨年の遠洋練習航海で、艦隊がプエルトケツァルを出航する際、音楽隊が艦上で奏でていたのは「ルナ・デ・セラジュ」という、グアテマラの皆さんに愛されている曲でした。大変美しい曲なのですが、出だしからしばらくは物憂げな旋律が続きます。やがて希望を感じさせる明るい曲調へと転じるのですが、物憂げなテーマ自体は曲全体の基調として貫かれているように感じられます。

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 詩歌や小説などで扱われる場合にも、「月」にはどこか儚さや寂しさ、あるいは郷愁などが仮託され、光り輝く「太陽」とは対照的な、控え目な存在として描かれています。実際、その質量自体「太陽」に比べれば無いに等しいほどです。

 そんな控え目な「月」ですが、地球のすぐ近くを周回していることから、その重力が地球上のあらゆるものに大きな影響を与え、海洋を揺り動かし、時には地殻変動の原因となったりもします。そして、その影響は私たちの心にも及んでいるようです。満月の夜には、凶悪犯罪の発生件数が多くなるとの統計があると聞いたことがあります。確かに、若い頃のことを思い出してみると、煌々と満月がかかる夜には目が冴えて中々眠れないということが度々あったような気がします。

 このように、地球上の自然現象や人間の心理にまで大きな影響を与えるほど近くを周回している「月」ですが、地球からの平均距離は38万㎞もあります。地球の胴回りの10倍近くです。

 宇宙空間はスケールが大きすぎて中々普段の感覚では把握しきれませんよね。以前、そんなテーマで書いた記事がありますので、興味のある方は読んでみてください。

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 さて、今回「月」のことを書いているのにはもちろん理由があります。

 先日、YouTube動画を観ている時に、「ぽつり、岡山」という岡山県の広報ビデオに出会ったことを紹介する記事を書きました。今回も同じ流れで、思わず「広告をスキップ」ボタンを押すのをやめ、見入ってしまった広告動画があったのです。

 「トヨタイムズ」をご存知でしょうか。トヨタ自動車の広報プログラムで、俳優、そして歌舞伎役者としても活躍されている香川照之さんが編集長を務めるという体で展開されています。テレビCMシリーズも流されているそうですので、きっとご覧になったことがあるのではないでしょうか。

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 今回出会った動画は20分にもわたるもので、広告動画としては大変長い部類に入ると思うのですが、非常に興味深い内容でした。

 現在、国際宇宙探査プログラムが、壮大な構想の下に進められており、我が国もJAXAを中核としてこの取り組みに参加しています。国際宇宙ステーションISS)は既に20年にもわたる運用実績がありますし、今後「火星」探査なども計画に上がっていますが、より具体的なプロジェクトとして、どうやら2030年ごろから月面基地建設が始まるらしいのです。

 月面基地、つまり「ムーン・ベース」です。

 私と同世代以上の方なら覚えておられるのではないでしょうか、1970年頃テレビ放映されていた英国製のSFドラマ「謎の円盤UFO(ユーフォーではなく、ユー・エフ・オーと読みます)」を。小学校高学年だった私は毎週食い入るようにして観ていました。

 「1970年、人類は既に地球防衛組織シャドーを結成していた。その本部はロンドンのとある映画会社の地下深く秘密裏に作られていた」というナレーションで始まる、結構ハードボイルドな作品でしたが、人間ドラマも含めたストーリー自体が大変面白かったことに加え、登場する装備や迎撃機などの洗練されたデザインが大変魅力的でした。

 そのシャドーが、UFOを探知・迎撃するために月面に置いた前線司令部が「ムーン・ベース」だったのです。

 1969年には、アポロ11号が実際に月面に着陸し、アームストロング船長らが人類初の足跡をそこに残していましたので、まだ子供だった私にとって「ムーン・ベース」は、すぐにでも実現しそうなリアリティが感じられました。

 尤も、実際にはそんな簡単なものではなく、月面での恒常的施設を建設し、長期にわたり人間が生活できるだけの安全かつ確実な環境を創り出すためには、広範多岐にわたる技術を裏付ける基礎研究の進展を、さらに数十年待つ必要があったわけです。

 ともかくも、その「ムーン・ベース」が実現しようとしているのです。もちろんUFOを撃退するためではありませんし、ドラマの設定よりも60年も遅れを取ることにはなりましたが、ちょっと興奮しますよね。

 JAXAのホームページによると、月面基地建設の目的は多々ありますが、私が注目したのは発電です。月面には核融合炉の燃料として使用される「ヘリウム3」という物質が数百万トン存在していることが見込まれているそうですが、1万トンもあれば、全人類の100年分もの電力を賄えるのだそうです。そして、月面に建設された核融合炉や太陽光発電のプラントで作られる電力を、レーザー光線のエネルギーに変換して地球に送電する技術も研究が進められているようです。あまりのスケールの大きさと画期性に呆気にとられてしまいました。

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 宇宙探査・宇宙開発が進展することは、地上から国際紛争の原因を一つ一つ取り除いていくプロセスなのかも知れません。

 ところで、月面に建設される各種施設間の交通や、月面探査のためには、移動手段が必要となりますが、地球上とは全く異なる過酷な環境下で安心・安全かつ快適な移動手段を確保することは容易ではありません。

 先ほどの地球防衛組織シャドーのムーン・ベースには「ムーン・モービル」というビークルが装備されているのですが、月面重力が地球上の1/6であることを利用し、バッタのように跳躍しながら前進するものでした。岩やクレーターなど障害物を跳躍により克服するというコンセプトで考えられたビークルなのだと思います。

 下の写真は、「有限会社 Finisher’s & Automodeli GT」のホームページ掲載されている「ムーン・モービル」キットの完成写真です。同社は、フィギュアやマニアックなビークルなどのキットや完成品を販売しているようです。下の写真をクリックするとこのキットのページに飛びますので訪ねてみてください。なかなかマニアックです。

  さて、今回の記事のタイトルに掲げた「ルナ・クルーザー」は、実は月面での移動手段として、トヨタ自動車JAXAを中心に、ブリジストン三菱重工をはじめとする多くの企業の協力を得ながら開発が進められている月面与圧ローバーの仮名です。写真をご覧になればわかる通り、「ムーン・モービル」とは全く異なるコンセプトで基礎設計が行われていることがわかります。

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 動画には、このプロジェクトが立ち上がったきっかけや、紆余曲折を経ながらトヨタ自動車の中でゴーサインが出るまでの経緯、今後の展望などが盛り込まれ、大変興味深い内容なので20分という長さを全く感じさせませんし、トヨタの広報動画なのに、変な宣伝臭もなく、オールジャパンで取り組んで行くんだという意気込みが感じられます。

 社内でプロジェクトにゴーサインを出された取締役・執行役員の寺師茂樹さんの言葉が印象的でした。私なりに咀嚼して書いてみます。

 分からないことを解きほぐしてこれを解決して行くというのは、トヨタが平素からやっている開発のプロセスであるけれども、月面で走らせる与圧ローバーの開発には、まず「何が分からないのかを明らかにする」という、これまでにないプロセスが加わる。そこにチャレンジしたいという技術者としての興味があった。また、地球上を走る車の開発を続けている限り、どうしても技術的飛躍を得るのが難しい。桁違いのハイスペックが求められる月面ローバーの開発に取り組むことで、全ての分野において技術的飛躍が期待でき、それは地球上を走る車作りにもフィードバックできるはずだ。

 動画をご覧ください。ちょっとワクワクすると思います。

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 ところで、現在JAXAには10人余りの宇宙飛行士がおられますが、そこには2人の元自衛官が名を連ねています。

 1人は、航空自衛隊の戦闘機パイロットから転進した油井亀美也さんです。

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 私が海上幕僚監部に勤務していた時に、突然「空幕から宇宙飛行士の候補者が出たぞ」と聞き大変驚いたのを覚えています。さすが空自だなぁ、「勇猛果敢 支離滅裂」と揶揄される空自ですが、まさに「勇猛果敢」な一面を見た感じがしました。

 一方、「伝統墨守 唯我独尊」と揶揄される海自からはそんな人材出てこないだろうと思っていましたら、ほどなく、「海自のからも宇宙飛行士候補者が出たぞ」との報に接し、さらに驚きました。

 防衛医科大学校を卒業後、海自の医官として勤務されていた、金井宣茂さんです。

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 宇宙飛行士の世界がどのようなものなのか、想像もつきませんが、日本のというよりは人類の未来を担うフロンティアとして、未知の世界に挑戦し続ける宇宙飛行士のみなさん、そしてJAXAトヨタ自動車はじめ関連企業のみなさんの、今後のご活躍に期待したいと思います。