あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

筋の通った美しさ

 実はちょっと予感してたんです。今日もインスタグラムにアップがあるんじゃなかろうかと。でも、昨日の続編のような写真になるとは、全く想定外でした。

 今回も大変美しい写真です。

 被写界を三宅さんだけに絞り切って背景から浮き立たせることにより、凜とした横顔が際立っていますね。場所はどこなのでしょう、やはり立石公園なのかな。

www.instagram.com

 昨日の写真と今回の写真は、組写真として同時にアップする予定だったのかも知れません。ただ、昨日の写真には何かを「祈る」という意味合いが込められていたため、8月15日に、単独掲載になったのではないでしょうか。

 昨日の写真も、今回の写真も「大変美しい」と書きました。勿論写真自体が美しいのですが、それにも増して、被写体である三宅由佳莉さんが「美しい」という意味を込めて書いたのです。

 このブログでは、三宅由佳莉さんの歌唱やダンスのパフォーマンス、そしてその人間性の素晴らしさについては何度も書いてきましたが、そのビジュアルについては殆ど触れることがありませんでした。三宅さんを語る上での本質ではないと考えたからです。

 確かに眉目秀麗な方ですが、二十代の頃には「美しい」というよりは「可愛らしい」という表現の方がピッタリだったと思います。ですから、世間を「あっ」と言わせたあの頃に「美しすぎる海自の歌姫」と呼ばれていたことには正直違和感がありました。

 美しいのは確かだけど、「美しすぎる」は言い過ぎだろう。

 でも、このインスタグラムへの投稿が始まった頃から、見方が随分と変わったような気がします。素直に「美しい」と感じるようになりました。そして、このところの投稿写真を拝見していると、まさに「美しすぎる」と言うほかないのではないかと思います。そしてまた、その表情やポーズの、あまりの自然さに引き込まれてしまいます。

 三宅由佳莉さんは表現者として多彩な才能をお持ちですが、今回の写真などを拝見すると、そのままグラビアモデルとしても通用しそうなほどです。

 インスタグラムへの写真投稿を通じて、三宅由佳莉さんは、写真でメッセージを伝えるという表現活動に取り組んでおられるのかも知れません。観る人によって、受け止め方は様々でしょうが、どの写真を拝見しても、何かを伝えたいという意思を感じます。

 そして同時に、ご自身の美の追求というものも大きなテーマなのではないかと思います。従前より、三宅さんは30代におけるご自身のイメージというものを概ね確立されたのではないかと申し上げて来ましたが、その総仕上げがビジュアルなのかも知れません。でも、それは、ビジュアルだけを整えた美しさではなく、内面の美しさが表出したかのような、とてもナチュラルで飾らない美しさなのだと思います。

 三宅由佳莉さんの投稿写真に私は、一本筋の通った美しさを見るのです。