あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

実名敬避俗

 何だよそれ!なタイトルで申し訳ありません。

 でも、きっと皆様の関心が高いと思われるテーマに繋がりますので、読んでみてくださいね。

 タイトルの「実名敬避俗(じつめいけいひぞく)」、ご存知の方もおられると思いますが、馴染みのない方の方が多いのではないでしょうか。

 この用語は、私がまだ現役自衛官の頃、興味に任せて、神武以来の天皇の系譜について調べていたときに出会ったものです。実に「何のこと?」な字面なものですから、却って印象深く記憶に残っています。

 簡単に言えば、日本では古来から、親や目上の人以外が、ある人の実名を口にすることは失礼なことだとする習わしがあるのですが、さらに調べてみると、世界中に似たような例がたくさんあることがわかり、そのような実名に対する人々の接し方を、この研究をまとめられた日本の法学者、穂積陳重(ほづみ・のぶしげ)さんが「実名敬避俗」と定義したものです。実際にはもっともっと複雑で精緻な研究なのですが、我々素人はこの程度の理解で良いと思います。

 根拠はありませんが、これをちょっと敷衍すると、陛下、殿下、閣下という尊称も、本来は実名を口にすることを避ける配慮であったのかもしれません。英語でも、Your Majesty、Your Highness、Your Excellencyという尊称について同じことが言えるのではないかと思います。

 また、「みだりに神の名を口にしてはならぬ」ことから「主」と呼んだりしていますよね。尤も現在では「Oh! my God!」と呼び散らかされているのが現状ですけど。

 このように、世の東西を問わず、畏れの対象の実名を口にすることはタブーとされる傾向がありましたし、現在でもあります。

 逆に、「畏れ」ではなく「恐れ」の対象の実名を口にすることも同じように憚られる傾向が見られます。ハリーポッターに登場する敵役・ヴォルテモートがそうでした。「決して名前を読んではいけないあの方」などと呼ばれていましたね。

 他の映画などを見ても、「奴らが来る」などという表現で、まだ視聴者がその正体を知らない集団の恐ろしさが強調されたりもします。

 このように、実名の使用を敢えて避けることで、その人の存在感やステータスの高さ、恐ろしさを表現することは結構多いような気がします。私はそれらも「実名敬避俗」の派生概念ではないかと思っています。

 私がこんなことを書いているのには勿論理由があります。二つ前の記事「もう、東京音楽隊!!」に寄せられた「やましな」さんのコメントです。

www.capitandiaryblog.com

 「やっぱあの方、気になりますよね。」で始まるコメントです。

 実は、私が読者登録をさせていただいている「toikimi」さんのブログにコメントする際、最近私も「あの方」を使いますし、「toikimi」さんも同じです。「あの方」と言えば誰のことを指しているのか分かりすぎるくらい分かるので、敢えて実名の使用を避け、そうすることでより強い存在感を共有するという仕組みになっています。

 ですから、「やましな」さんのコメントを拝見して「おっ」と思ったのです。

 「あの方」がどなたを指しているのかはもちろんお分かりですよね。

 今や、「畏れ」の対象とするに相応しいステータスをお持ちだということが言えるのではないでしょうか。

 そして、「やましな」さんが気にされているのは、「あの方」の昇任のことです。

 今回の定期昇任(7月1日)では、多くの方が「どうして?」と思っておられるのではないかと思います。なぜ、皆さんがそう思われるのか、皆さんに代わって紐解いてみましょう。

 今回、たまたま、以前から当ブログで特に注目してきた皆さんが同時に昇任されたということが第一の原因だと思います。

 今までだって、毎年7月1日(前期)と1月1日(後期)に何人もの音楽隊員の皆さんが昇任されてきましたが、このブログでフォローしている方でなければ、なかなか把握もできませんでした。そういう意味では、今回だって同じです。偶然お馴染みの皆さんが同時に昇任されたに過ぎません。赤嵜さんも岩田さんも「あの方」の先輩ですし、もっと早く昇任しても全く不思議ではなかったのですが、様々な経緯を経て、今回昇任枠に収まったということでしょう。

 昇任選考で考慮される事項は多岐にわたります。音楽隊の場合、また特に「あの方」の場合、ステージでのパフォーマンスや知名度、海自広報・防衛省広報へのこれまでの貢献度が大きいですし、何しろ露出度が桁違いなものですから、外から見るとどうしてもそこに目が行ってしまいます。

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 でも、それだけで評価されるわけではもちろんありません。考慮される多くの事項のごく一部に過ぎないからです。「あの方」だけは特別に扱って欲しいという意見も時々目にしますが、そんなことができるわけがありません。もし、そんなことをすれば、部隊にとっても「あの方」にとってもこの上ない不幸の始まりとなります。恣意的な扱いを排除するため、人事制度は実に厳格に運用されています。利害得失や個人的な感情で恣意的な人事運用を行うような軍事組織は、はっきり言って物の役に立ちません。

 ここで一つ言っておきたいのは、階級は究極的には役割分担を決めることであり、人としての等級を付けているわけではないということです。もちろん、階級が決まれば自ずと組織における上下関係は定まりますが、それは組織として任務を達成するために担う責任の分担とその確実な遂行を行うために必要だからです。

 音楽隊の隊員は、はっきり言って皆さん非常に優秀です。それはそうでしょう。音大や芸大に入るだけでも尋常なことではないのに、そこを卒業して自衛隊の音楽隊に入るのも非常に狭き門なのですから。個人の能力だけに着目すれば、全員幹部自衛官として十分過ぎる活躍ができるはずです。でも、それでは音楽隊という「部隊」が編成できませんので、奏者の皆さんは海曹士の階級でその演奏能力をフルに発揮し、任務の達成に寄与されているわけです。

 同時に、部隊を編成維持するためには幹部自衛官も必要ですから、一部の隊員は幹部への道を選ぶのですが、それが本人の希望に沿っている場合ばかりではないと思います。自分は奏者としてのキャリアパスを希望するので海曹のままでいたいと思いつつ、部隊の任務達成のため「必要だ」と説得されて、奏者の道を断念された方は少なくないのではないかと想像します。樋口隊長にもそんな一面があったのではないかと思うのは、東京音楽隊長にまで登りつめられた今でも、指揮台を「放り出して(^ ^)」すぐにパーカッションパートに行かれるからです。そして、それが演奏家としての自然な心情ではないのでしょうか。勿論、幹部自衛官になることで見えている世界がガラリと変わりますから、音楽家として、また自衛官として、それまでとは違った視点を得ることになるでしょうし、切り拓くべき新たな地平が見えてきて、音楽、そして国防への理解がより深まっていくのだと思います。

 こうして見てくると、優秀な人材の宝庫である音楽隊において、個々の隊員の昇任がいつになるのかに、それほど大きな意味がないということがお判りいただけるのではないでしょうか。

 とは言え、皆さんが「どうして?」と思っておられるもう一つの理由がありますよね。それは「あの方」の後輩である荒木さんが、今回昇任されているからでしょう。

 一言で言えば、荒木さんは優秀な音楽隊員の中でもどうしようもないくらい優秀な隊員なんだと思います。特別扱いではなく、特別なんです。

 「パンフレット隊員」という言葉があります。

 自衛官の募集案内のパンフレットには、自衛官候補生や海曹候補生、航空学生、幹部候補生など、入隊区分ごとのキャリアパスが載っていますが、それは最も早く昇任した場合の例示であって、全員がそのような道を歩むわけではありません。それはそうですよね、そんなことしたら、健全な階級構成が崩壊してしまいます。

 で、そのパンフレットに書いてある通りのキャリアパスを辿る隊員、つまり最優秀な一握りの隊員のことを「パンフレット隊員」と呼ぶわけです。

 音楽隊におけるパンフレットキャリアパスがどうなっているのかは分かりませんが、荒木さんは「パンフレット隊員」か、それに近いところにおられるのではないでしょうか。でも、演奏家として見た場合、それがプラスになるとは限りません。勿論一般部隊でも同じことが言えます。

 例えば、航空学生です。パイロットになって空を飛びたいと思ったから入隊して厳しい飛行訓練にも耐えてきたのに、優秀だったが故に昇任も早く、現場から外れて飛行隊以外での業務が増えて行きますし、やがて飛行配置は断念せざるを得なくなります。

 勿論、そのような隊員は早いうちから自分のキャリアパスがどうなるのかを理解していますから、頭を切り替えて研鑽を積んで行くのです。

 音楽隊は飛行隊とは違いますから、良い例えではなかったかも知れませんが、似たようなことはあるのではないかと思います。

 荒木さんは、自らがそのようなキャリアパスを辿るであろうことは分かってらっしゃるでしょうし、奏者としての能力を高めつつ、海曹士を束ねる立場になるであろうことを肝に銘じて研鑽を積んで行かれるでしょう。決して楽な道ではありませんが、それがご自分に与えられた使命であることを自覚しておられるに違いないと思います。

 そして「あの方」は、階級云々よりも、常に現場で歌を歌われることで、国民と海上自衛隊の架け橋の中核を担い続けることこそがご自身の使命であると自覚されているのだと思います。「あの方」と呼びたくなるほどの圧倒的な存在感や、これまで築き上げて来られた数々の実績は、まさに現場での活動があればこそですし、何にも勝る勲章なのではないでしょうか。