あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

横浜に戻りました

 前回の記事で、長らく闘病生活を続けていた父が苦しみから解放され、安らかな世界に旅立ったことを報告させていただきました。

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 その後、当面やれるだけの手続きや公的資料等の請求、四十九日法要の段取りなどを済ませ、昨日、久しぶりに横浜の自宅に戻ってまいりました。10日以上家を空けていましたし、部屋が蒸し風呂状態にならないよう、ベランダの戸を5cmほど開けたまま出かけましたので、家の中が大変なことになっているんじゃなかろうかと、ちょっと心配だったのですが、全く無事でした。

 日頃の行いが良いからに違いありません(╹◡╹)

 今回は、郷里から帰宅する道すがらのことを書いてみたいと思います。いくつか報告することがあるんです。

 まず、羽田空港に向かう飛行機なのですが、主翼の後縁部分に当たる席を選んで離陸時、飛行中、着陸時のスマホ動画を撮影し、YouTubeにアップしてみました。とは言え、いつも動画を投稿している「1501RetCapt」のチャンネルでは違和感がありますので、この種の動画が撮りたくなった時のために開設しておいた別チャンネルを使うことにしました。音楽隊の演奏会が開催されないので、この3月に遊び心で製作した新幹線の動画をアップしてはみたものの、あのチャンネルでは完全に浮いてるな、と思ったのが新チャンネル開設の動機でした。このブログでも、三宅さんや音楽隊以外の記事が結構ありますので、そんな記事への埋め込み動画供給用チャンネルとして運用していく予定です。

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 窓側の席を選ぶ方の多くが主翼付近を嫌います。下の景色が見え辛いからだと思います。でも私は主翼後縁の席が大好きなんです。高揚力装置(フラップ)や補助翼(エルロン)の動きがよく見えるので、そんな席に座れた時には窓の外ばかり見ています。YouTubeを始める前には、それを撮影しようなどとは考えもしませんでしたが、私と同じように主翼の機構部の動きに興味のある方も少なくないと思いますので、機会を捉えて撮影し、アップしていこうと思ったのでした。

 今回のフライトでは、途中、びっしりと張り詰めた雲海の上を飛行することになったため、そんな様子も撮影してみました。綺麗な雲海でした。

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 そして、雲海の上から濃密な雲の層を通って降下し、羽田空港に着陸するまでの様子も、もちろん撮影しました。高度が下がり、速度が徐々に落ちていくに連れて少しづつ後方に張り出されていくフラップ(高揚力装置)の作動を見ていると、なんだか気持ちが上がっていきますし、タッチダウンと同時にエアブレーキが立ち上がり、速度を抑えると同時に機体を地面に圧着して安定させる様など、この席でしか味わえない醍醐味があります。

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 因みに、この動画は、当初16分弱の長さがあったため公開できませんでした。新しいチャンネルは、登録者数が1000人に達しないと15分を超える動画をアップすることができないんです。まだチャンネル登録者が1人(1501RetCaptさん)だけだと言うことを忘れていました。私は、今までチャンネル登録や読者登録をお願いしたことは一度もないのですが、表現の幅が制約される1000人の壁だけは何とかクリアできればと思ってしまいます。差し支えなければ、チャンネル登録をしていただけると幸いです。

 さて、羽田空港に降り立った私は、19日に移動が全面解禁になったこともあり、空港も随分賑わっているのではないかと思っていたのですが、豈図らんや、出発した時とさほど変わってはいませんでした。

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 そして、気づいたのですが、行き交う人々の歩く速度が以前よりゆっくりとしたペースに感じられました。人混みの中ではないからゆったりしているのかもしれませんが、歩速そのものが遅いのです。コロナに起因する社会の変化の兆しなのかもしれないなぁと思いました。

 京浜急行に乗って横浜に辿り着き、北側通路を通って東横線に乗り換えようとしたところ、見慣れない風景が目に入りました。

 「JR YOKOHAMA TOWER」…

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 ずっと工事中だった横浜駅ビルの名前が「JR YOKOHAMA TOWER」だったんですね。7月1日にオープンするらしく、地下の部分では一部の店舗が営業を初めているようでした。コロナ禍のなか、多難なオープンとはなりますが、ポストコロナ社会の先駆けとなるような「ゆったりとした賑わい」というものが、そこに出現してくれればいいな、と願わずにはいられませんでした。

 最寄りの駅で下車し、家までの道すがら、季節感を感じさせてくれる紫陽花の花が綺麗に咲き誇っていました。

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 私たちの社会では、日々、多くの人が生まれ、病を得、また鬼籍に入りますし、今回の惨禍に限らず、常に何らかの大きな変化のうねりに身を任せていくしかないのかもしれません。確かなものなど何もありませんし、常に移り変わっていくのだと思います。

 それを仏教では「無常」と言うのでしょう。でも、「だから何をやっても無駄だ」と言ってしまえば、元も子もない「虚無」の罠に嵌ってしまいます。

 確かなものなど何もない限られた人生だからこそ、愛おしく、大切に磨き上げて行ければと、何があってもひたすら自らの「務め」を果たそうとする紫陽花の姿を見て、そんな思いを強くした次第です。