あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

ラッパ君が代

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 これまで、いくつかの記事で「ラッパ君が代」のことを紹介してきました。

 自衛隊では、国旗(自衛艦旗)の掲揚・降下は、君が代の音源放送に合わせて行います。一日2回、君が代の吹奏を聴きながら基地、駐屯地の国旗掲揚台の方向に正対して敬礼するのです。わずか45秒ほどですが、この間全ての業務は停止され、静謐で厳かな時が流れます。

 現役の頃は、日課の一つとして当たり前のように行なっていたことですが、退役した今、あの静謐さに郷愁を覚えます。

 そんな「君が代」ですが、信号ラッパで演奏されることがあります。というか、陸海空とも、部隊では「ラッパ君が代」が使用され、機関では通常の君が代が使用されていたと思います。

 ところが、同じ「ラッパ君が代」でも、陸・空自と海自では異なっています。何事につけ、海自だけが違うということがとても多いですね(^ ^)

 まず、海上自衛隊の「ラッパ君が代」を聴いてみましょう。下の動画は輸送艦「くにさき」の自衛艦旗掲揚の様子です。各艦艇は、停泊時には0800(まるはちまるまる)にそれぞれ、航海科員の「ラッパ君が代」に乗せて自衛艦旗を掲揚します。

「10秒前!」が知らされると、当直士官が「気をつけ」を令し、「ラッパ気をつけ」が吹奏され、「時間!」で「揚げ!」が令され、「ラッパ君が代」の吹奏に合わせて自衛艦旗がゆっくりと掲揚されていきます。掲揚後、「かかれ」で「ラッパかかれ」が吹奏され、課業整列(いわゆる朝礼ですね)が始まるという段取りです。

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 帝国海軍の軍艦旗掲揚はどうだったのでしょう。下の動画をご覧ください。

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 「気をつけ」と「かかれ」が若干違いますが、「君が代」はややゆっくりめながら現在の海上自衛隊と全く同じですよね。

 

 では、陸上自衛隊の「ラッパ君が代」はどんな感じでしょうか。広報行事での信号ラッパ展示の様子を納めた動画がありましたので聴いてみてください。

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 「気をつけ」は陸海空共通ですが、「君が代」は全く違うことがお判りいただけたと思います。また、海自の「かかれ」に相当するラッパも違いますね、確か「わかれ」だと思いましたが、違ったらすみません。

 では、帝国陸軍はどうだったのでしょう。

 下の動画の40秒頃から帝国陸軍の「ラッパ君が代」が聴けます。

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 お分かりでしょうか。帝国陸海軍の「ラッパ君が代」は同じものでした。陸海軍は仲が悪かったと言われますが、国歌である「君が代」は同じです。というか、同じである方が自然です。何しろ「国歌」なのですから。

 そういう意味では、現在の自衛隊はとても不自然な状態にあると見ることもできます。なぜそうなってしまったのでしょう。

 陸上自衛隊の前身である警察予備隊が創設された際、帝国陸軍職業軍人は徹底的に排除されました。警察予備隊は、帝国陸軍の影響を全く受けない組織として誕生したのです。職業軍人のいない部隊を誰が錬成していったのか。米陸軍です。私の父は警察予備隊に入隊し、陸上自衛隊に移管されました。入隊直後は米陸軍の教官から怒鳴られ、殴られしながら鍛えられたそうですが、何しろ四六時中英語で捲し立てられるので、内心「わかる訳ねーだろ」と毒づいていたそうです。

 これに対し、海上自衛隊の前身である海上警備隊は、帝国海軍の軍人が中心となりました。何故なのかと言うと、当時我が国周辺海域には日米両軍が敷設した夥しい数の機雷で埋め尽くされていたからです。機雷を排除しない限り、船舶の航行ができず、日本にとっても、占領統治を行う連合軍にとっても、由々しき事態だったのです。

 機雷掃海という専門的技術を要する業務を遂行するためには、高い練度を誇った帝国海軍の職業軍人が必要不可欠だったという訳です。

 海上自衛隊に帝国海軍の様々な伝統が引き継がれているのは、このような経緯があるからです。

 

 こうして見てくると、海上自衛隊の「ラッパ君が代」こそ、帝国陸海軍の伝統を引き継ぐものであり、陸空自もそれに合わせたらどうか、というような意見も出てきそうです。でも、ことはそう簡単ではないと思います。自衛隊が誕生してから、すでに70年近くが経過し、この間積み重ねられてきたことは既に伝統であるからです。

 陸海空自衛隊が、それぞれ培ってきた伝統に誇りを持ちつつ、相互に敬意を払い、相携えて共通の使命を果たしていく。それでいいのだと思います。

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