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三宅由佳莉さんが歌う「リンゴの唄」

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 皆さんは「リンゴの唄」をご存知ですか?

 私の年代以上の方々にとっては、誰もが知る昭和の人気歌謡ですが、世代を下れば、ご存知ない方の方が多いかもしれませんね。大東亜戦争中に書かれた歌謡曲ですが、国を挙げての戦いの最中に相応しくないとの理由でお蔵入り、1945(昭和20)年に我が国が敗戦を受け入れた後に、ようやく陽の目を見たのです。

 並木路子さんが歌ったこの唄は、大切な家族や友人を失い、荒廃した国土のなかで敗戦に打ち拉がれていた我が国民を癒し、元気付けて空前の大ヒットとなりました。

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 お聞きになればわかりますが、快活なイントロが終盤に転調して、やや哀調を帯びた本曲に入っていくところが秀逸です。哀調を帯びたメロディラインであるにもかかわらず、並木さんの唄はとても明るく、聴く者の気持ちをグッと掴んで前に向かわせてくれますね。戦後最初の歌謡曲として大ヒットしたのも頷けます。

 でも、この頃の並木路子さんは、とても明るい唄を歌えるような心理状態ではなかったのです。戦地で父と兄を、そして空襲で母を亡くしていたからです。そのような状態から、このような明るい歌声を紡ぎ出すには、どれほどの葛藤があったことでしょう。そして、そんな苦しみを経て生み出された唄だからこそ、広く国民の心を捉えることができたのだと思います。

 昨年10月に開催された東郷の杜音楽祭で、三宅由佳莉さんはこの唄を披露されました。一昨年リリースされたアルバム「SING JAPAN」にも収録されていますが、その日会場にいた私は、生の歌声を初めて拝聴しました。

 三宅さんがこの唄に取り組むにあたり、おそらく並木路子さんのエピソードにもきちんとあたられていると思います。そして、いつもそうであるように、オリジナルへのリスペクトを胸に、自分なりに十分咀嚼して解釈した答えを披露してくださっているのだと思います。

 思えば、東日本大震災の後、その衝撃と悲しみに打ち拉がれていた我が国民を癒し、元気付けてくれた「祈り〜 a prayer」は、「リンゴの唄」とよく似た役割を果たしたのではないでしょうか。喪失感に苛まれている人の心を癒し、前に向かわせる、そんな力が歌にはあるということを、三宅由佳莉さんは身をもって体験されてきました。でも、その歌を作り上げるために、只ならぬ葛藤と苦しみがあったことも事実ですし、その点でも「祈り」と「リンゴの唄」には共通点があるのではないかと思えるのです。ですから、「リンゴの唄」がなぜ、当時の多くの国民を癒し、救うことができたのか、そんなことに思いを巡らせながらこの唄をご自分の中に取り込んで来られたのでしょう。

 原曲とはまた違った輝きを放つ、三宅由佳莉さんの「リンゴの唄」、是非お楽しみください。

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