このところ、本当に記事を書く時間が取れず、飛び飛びになっています。書きたいことはたくさんあるのに、書く時間がない! 厳しい現実です(≧∀≦)
さて、昨年のこの日にも同じタイトルの記事を書きました。
と言いますか、このシリーズの1本目でした。
日本人として忘れてはならない日だからこそ書いたのです。ですから、今年も当然書くつもりでおりましたが、冒頭申し上げたとおりの状況で、当日の夜になってようやく書き始めることができました。ちょっと雑になるかも知れませんがご容赦ください。
さて、今回は、私が防衛大学校の第2学年の時の思い出話を書かせて頂きます。
防衛大学校は、将来、陸海空自衛隊の幹部となるべき人材を育成する防衛省の教育機関であり、3軍種に人材を供給するという特色があります。
従いまして、多くの国が採用している軍種ごとの士官学校とは異なり、その規則や習慣などを、いずれかの軍種のものに合わせるわけにはいきません。とはいえ、「士官学校」である以上、自衛隊の行動様式に従った生活の基盤が必要ですので、各自衛隊の習慣を持ち寄った形になっています。もう随分と前のことなので、細かいことは覚えていませんが、思い返してみれば、基本的には陸上自衛隊風の生活だったような気がします。特に、信号ラッパは、おそらく陸上自衛隊のものをそのまま使っていたと思います。
防衛大学校の学生は、全員が寮(学生舎といいます)で起居を共にしますが、学生舎内に響く信号ラッパのうち、誰もが「聞きたくない」と思うのが「非常呼集ラッパ」です。音源を探したのですが、YouTubeにもありませんでした(帝国陸軍のはありました)。真夜中にこのラッパが流れると、皆目を覚ましますが、そこで動いてはいけません。なぜなら、ラッパが鳴り終わると、何をなすべきかの指示が放送されるからです。
「第2大隊訓練非常呼集、服装、乙武装、ライナー、執銃、集合場所舎前、以上」(記憶に基づく再現ですので、正確ではないかも知れません)。
乙武装とは、戦闘服に半長靴(はんちょうか/戦闘用ブーツ)と弾帯を着用する服装です。因みに甲武装は制服に白弾帯、白手袋を装着する服装で、観閲式で防大生が着用している服装です(上の写真)。また、ライナーとはプラスチック製のヘルメットで、鉄帽(鉄製のヘルメット)の下に被るため「ライナー」と呼ばれています。執銃は、読んで字のごとく小銃を携行せよということです。訓練非常呼集は、舎前(学生舎の前)に集合し、点呼をとった後、中隊ごとに控え銃(ひかえつつ/両手で銃を胸の前で斜めに保持する)の姿勢で、掛け声をかけながら数キロ走るのが通常でした。今も、おそらく同じようにやっているんじゃないでしょうか。
このように、夜中(通常は早朝)に叩き起こされ、重たい銃を抱えながら走るのが通常でしたので、非常呼集ラッパが響くと、明るい気持ちになる者は少なかったと思います。
私が第2学年の1年間を過ごしたのは、第5大隊でした。おや?と思われる方もおられるかも知れませんね。現在、防衛大学校の学生隊は4個大隊編成ですが、1979年の3月までは5個大隊編成でした。私は第5大隊の最後の1年をそこで過ごしたのです。
1978年の12月8日未明、私が居住していた第5大隊の学生舎に、非常呼集ラッパが鳴り響きました。ラッパの後「第5大隊訓練非常呼集、服装、礼装、集合場所屋上、以上」
皆驚きました。非常呼集で「礼装」など、聞いたこともありませんでしたから。
礼装とは、夏も冬も詰襟の長袖制服に白手袋をはめた服装で、儀式や畏まった行事の際に着用する服装です。
ネイビーブルーの詰襟に、制帽を被り白手袋をはめた集団が、戸惑いのざわめきの中、階段を駆け上り屋上に集合します。
各中隊ごと点呼を終え、第1中隊から第4中隊までの各中隊学生長から、大隊学生長への人員報告が行われた後、大隊学生長から、次のような言葉がありました(記憶に基づく再現です)
「本日は、開戦記念日である。先の戦争に対する個々人の捉え方は様々あろうと思うが、我が日本が、止むに止まれぬ事情から、米英蘭に対し宣戦を布告したこの日を、国防の任に就こうとする我々は忘れてはならない。また、4年近くにわたる激戦の中、故国を遠く離れた太平洋の洋上や島々で、また大陸において、無念にも散華された多くの英霊に対する感謝と慰霊の心を忘れてはならない。この国が謳歌しつつある繁栄は、この国の未来を信じ、その礎となられた多くの英霊の尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。開戦記念日にあたり、そのことを皆とともに確認し、感謝と慰霊の心を捧げたいと思う。右向け、右!大東亜戦争において散華された全ての御霊に対し、敬礼!」
まだ暗いなか、輝く星と、うっすらと茜色を帯び始めた雲が重なる空を見ながら敬礼している私は、言葉にはできない感動のなかにいました。こうして、祖国日本の歴史は繋がって行くんだ。こうして、外地で散華された御霊は、その意味を獲得して行くんだ。それは、今を生きる我々の仕事なんだ。そんなことを考えました。
今も鮮烈に記憶に残る、「嬉しい」非常呼集でした。