あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

三宅由佳莉さんの二つの「ハナミズキ」

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 今月の12日(水)、13日(木)に赤坂と新宿で行われた、海上自衛隊東京音楽隊のランチタイムコンサートでは、三宅由佳莉さんが一青窈さんの名曲「ハナミズキ」を披露されました。

 私は、赤坂での水曜コンサートに足を運び、生でこの歌を聞かせていただきましたし、歌っている三宅由佳莉さんの姿を、自分の席からスマホで撮影し、それをYouTubeにアップさせても頂きました。立派なビデオカメラを構えた方々が何人もおられましたので、画質・音質ともに優れた動画が程なくアップされるのはわかっていましたが、どうしても自分で撮ったオリジナル動画を自分のYouTubeチャンネルのラインナップに加えたかったのです(╹◡╹)

 それがこの動画です。

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  ところが、この動画に、この記事を書くきっかけともなった、一つのコメントが寄せられました

 「気のせいか、この時は喉の調子がイマイチのようですね。

 というものです。「それは気のせいでしょう」と思いつつ、ちょっと気にはなっていました。

 そこから何日かは水曜コンサートの記事を連日書いていたものですから、木曜コンサートのことはあまりチェックしていなかったのですが、「おかせ〜」さんが、やはりスマホで撮影した、木曜コンサートの「ハナミズキ」をTwitterにアップされたので、拝見しましたところ、なんか、声の張りもよく、元気な感じがしましたので、素直にそんなコメントを残しました。

 木曜コンサートでは、ソーランファンクの時に三宅由佳莉さんがクラベスを手に、バンド演奏に参加したりと、水曜コンサート組から見ると羨ましい企画もありましたので、「木曜も行けばよかった(≧∀≦)」と思ったのでした。

 でも、「ハナミズキ」に関しては本当にそうなのか、両日は気象条件も相当異なりましたし、会場の違いは音響の違いでもあるでしょう。そこで、両日の動画を比べて見ることにしました。同じ撮影者がよかろうと、「h1way2012」さんの動画を使って比較してみました。「h1way2012」さん、いつも素晴らしい動画をありがとうございます。

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  下は、木曜コンサートでの「ハナミズキ」です。

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  両日の動画を比較した結果、次のようなことがわかりました。

 全般の歌い方や身振り手振りですが、水曜の方が抑え気味で、木曜は力一杯体中で表現されている感じがします。また、声の出し方についても、同じ傾向が感じられました。特に終盤の「果てない波がちゃんと止まりますように」の部分、木曜コンサートの三宅さんは、ここで拳を振り下ろし、強い意識表示をしているように見えました。

 そして何よりの違いが、両日の三宅由佳莉さんの表情です。下のコラージュをご覧ください。上段が水曜コンサート、下段が木曜コンサートでの表情です。

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  下段、木曜コンサートの三宅さんは力強く、元気な「さぁ、行くぜ!」的な表情ですが、上段の水曜コンサートの三宅さんは、どこか深い慈しみと同時に儚さのようなものを纏った表情をされていると思いませんか? 両日の三宅由佳莉さんの目に宿るものが違うのではないかと思えるのです。

 私は、両日の「ハナミズキ」は、三宅由佳莉さんの二通りの解釈に基づいて歌われたのではないかと思っています。

 一青窈さんが書かれた歌詞は、難解ですが、米国同時多発テロで亡くなった方々へのレクイエムでもあり、愛する人を失った方々の思いを癒すだけでなく、その悲しみを昇華させ、更には憎しみの連鎖が終わることを願ったものだと思います。

 聴く人によって、色々な解釈があるとは思いますが、私は、愛する子を残して犠牲となった母親の視点からという解釈と、最愛の人を奪われながら生き続けなければならない人の視点からという解釈が成り立つと思います、そして共通しているのが憎しみの連鎖を終わらせたいということでしょう。

 水曜日の三宅さんは、前者の解釈で歌われたのではないでしょうか。愛する子への限りない愛を込め、憎しみの連鎖が終わり、我が子が幸せになってくれることを望む、そんな心情を歌われたのではないでしょうか。小田原公演での「ゆりかごの歌」でも見られた、聖母のような慈しみに溢れる表情をされていると思います。

 そして木曜日の三宅さんは、後者の解釈だったのではないかと思えるのです。残された者として、最愛の人を奪った者たちへの憎しみを乗り越えて、愛で満たされた世界を作って行くのだという強い思いを歌われたのではないでしょうか。「果てない波がちゃんと止まりますように」は憎しみの連鎖のことを言っているのでしょう。ここで拳を振り下ろす力強い歌唱になっていたのは、きっとそのような心情の表現だったのではないかと思います。

 三宅さんが、本当に二通りの解釈で歌い分けられたのかどうか、確かめようもありませんが、私にはそのように思えました。