あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

靖国神社で参拝して参りました

 市ヶ谷駅から、靖国通りを歩いて向かいます。暑かったですけど、カラッとした空気と強い風のおかげで、礼服を着て歩いても全く苦にはなりません。

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 集合場所は、「参集殿」の2階です。

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 水交会の受付を済ませ、今回参加される方々の名簿をいただきました。待機部屋へ入ると、昔お世話になった方の顔がちらほら見えましたが、ほとんどは存じ上げない方々でした。

 今回の参加者は46名でした。海軍出身者が6名、海自出身者が33名、有志の方が7名という内訳です。名簿順に一人一人紹介され、その場に立ち上がって顔見せするのですが、海軍出身者の皆様がお若いのに驚きました。矍鑠たる挙措動作もさることながら、見た目にもお若いのです。皆様90歳前後だと思われますが、どう見ても70代くらいにしか見えません。もちろん、そういう元気な方々しかおいでになっていないということもありますけれど、若い頃の鍛え方と、しっかりとした心の持ちようがそうさせているに違いないと思いました。

 参拝者紹介に引き続き、靖国神社宮司様からのご挨拶がありました。明治大帝の御発案により東京招魂社として設立されて以来、来年で150年の節目を迎えること、50周年の節目には大正天皇が、そして100周年の節目には昭和天皇がそれぞれ御参拝されたことを紹介された上で、報道によれば、今上陛下による平成元号下での御参拝はないとされていることに大変な御懸念を示しておられました。今上陛下による御参拝がなければ、まだ一度も靖国に足を運ばれたことのない皇太子殿下は、当然に先代陛下にならわれるでありましょうし、そのことは、靖国神社にとって、すなわち数多の御霊にとって、天皇による御親拝を頂く道が途絶えることを意味するからです。

 「天皇にも信仰の自由がある」というのが政府見解だとのことですが、詭弁に思えます。来年5月1日の退位の日までに、今上陛下による靖国御親拝が実現することを願ってやみません。

 さて、宮司様のご挨拶が終わり、1階の広い待合所を抜けて本殿に向かいます。写真撮影は手水舎まで許可を頂きました。

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 ここから先は神域です、私たちは神官を先頭に3列縦隊で本殿脇まで進み、ここで低頭してお祓いを受け、いよいよ昇殿しての参拝となります。本殿は一般参拝を受ける表の拝殿の奥に建てられていますが、殿舎はかなり高い位置に設えられていますので、階段で文字通り「昇殿」する必要があります。足の悪い参拝者のためにエレベーターも設置されているのですが、海軍出身者の中でエレベーターを使われたのは、お一人のみでした。この方も階段を登りかけ、逡巡した末にエレベーターを選択されていました。自力で昇殿したいけれど、迷惑をかけることになるかも知れないと断念されたのが痛いほどよくわかりました。

 本殿中央には、巨大な鏡が置かれており、社格の高さを感じます。

 靖国神社祝詞は、一般の神社のそれと比べ、ほとんど抑揚のないものでした。防大靖国行軍、そして遠洋練習航海に出る前にも昇殿参拝したはずなのですが、若い頃にはそのようなところには全く意識が向いていなかったのでしょう。この歳にして、新たな発見です。

 参拝を終え、私たちは徒歩で、近くにある千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向かいましたが、海軍出身者の方々の殆どが靖国神社で解散されました。

 三々五々、墓苑に着いた者から順次、献花をしました。奉仕会の方々が墓苑入り口で一輪づつ花を渡してくれます。

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 祭壇には多くの白い花が供えられていましたし、天皇皇后両陛下からの大きな花が中央左右に置かれ、一際目を引きました。

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 献花を終えた者は、墓苑前に建てられている奉仕会の会館に集まり、同会からのブリーフィングを受けました。印象に残った話が二つあります。

 一つは外地で戦死された方々の遺骨収集に関することです。遺骨収集はボランティアに依存する形で、毎年何度も行われていますが、最近は若い方の参加が増えてきているということでした。現地で収集された御遺骨は、帰国の都度千鳥ヶ淵墓苑で厚生労働省への引き渡し式が行われます。その際には、陸海空音楽隊による演奏支援が行われているということでした。私たち海自OBへのブリーフィングでは、東京音楽隊による演奏の様子が写真で紹介されました。おそらく「国の鎮め」が演奏されるのだと思います。

 厚生労働省では、引き渡しを受けた御遺骨のDNA鑑定を1〜2年かけて行い、特定できたものはご遺族にお渡しし、どうしても特定できなかったものについては、年に1度、千鳥ヶ淵墓苑の地下に納骨するのだそうです。遺骨収集の話はよく聞きますが、このような段取りになっていることは承知していませんでした。

 もう一つは、遺骨収集を行なっている米軍の機関についての話です。DPAA(Defence POW/MIA Accounting Agency)という機関です。POW(Prisoner of War)は捕虜、MIA(Missing in Action)は戦闘中の行方不明者のことです。つまり、DPAAは、戦地から帰国を果たせていない将兵を本国に帰還させるための活動を専門に行う米軍の組織です。この組織の長官が今年、初めて千鳥ヶ淵を訪れ、献花されたとのことでした。

 その際頂いた名刺の裏には「Fullfiling the Nation's Promise(国家の約束を果たす)」と書いてあります。国家の約束とは、「決して戦地に置き去りにはしない」というものです。たとえ亡骸になったとしても、必ず帰還させるという、兵士への約束を国家の責任において遂行するため、主として軍人によって構成される機関を、米軍は持っているのです。我が国の遺骨収集の現状と比べると随分と大きな開きを感じました。

 千鳥ヶ淵からは、海上幕僚監部が差し向けてくれたマイクロバスに乗車し、市ヶ谷の防衛省に向かいました。バスの窓越しなので、ちょっと色が変ですが、防衛省の正門です。

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 防衛省の敷地内に設けられた、殉職隊員の顕彰碑への献花と参拝を行います。

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 結構な広さがあります。毎年ここで慰霊祭が行われています。

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 殉職隊員慰霊碑への献花と参拝について、アテンドしてくださったのは、海上幕僚監部海幕)厚生課のみなさんでした。

 厚生班長も来て下さっていたのですが、どなただと思いますか? 以前、このブログでご紹介したことのある女性自衛官です。

retcapt1501.hatenablog.com

 そうです、女性初の護衛艦艦長となられた、大谷三穂さんです。

 1等海佐に昇任されていました。

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 というわけで、思ったよりも長い報告になってしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 水交会が行なっている活動の一端をお伝えすることができたなら幸甚です。