これまで、「三宅由佳莉さんの効能」シリーズを5本書いてきましたが、どうやら、まだまだ続きそうな気がしますので、この辺で小括しておくことにしました。
三宅由佳莉さんには、まるで処方薬のような「効能」がある。言葉遊びではなく、私は素直にそう思います。
私自身は気づいていなかったのですが、私は「三宅由佳莉」と言う処方薬が必要な状態に陥っていました。何となく「君が代行進曲」が聞きたくなったのが端緒です。YouTubeであれこれ行進曲を聞き進める中で、突然出会ったのが三宅由佳莉さんの「祈り」でした。劇薬です。強い作用で、空虚になっていた心を崩壊させ、落ちるところまで突き落とします。でも、このプロセスを踏まないと薬効は現れません。
中毒性も強いです。あまりの中毒症状に、このまま立ち直れないのではないかと心配になるほどです。
でも、急性期の中毒症状は、やがて落ち着きを見せ、自分と向き合う余裕が生まれて来ます。そこから、本当の効能が力を発揮し始めます。
とても不思議な感覚です。救って頂いておきながら失礼な話ですが、「一体、何なんだろうこの人は」と思いました。
「心を鷲づかみにする」などとよく言いますが、そんな感じじゃないんです。
外から心を鷲づかみにするのではなく、気がつくと、いつの間にか自分の心の中にいて、寄り添ってくれている。そんな感覚です。
多分、三宅由佳莉さんに救われた方々は、多かれ少なかれ、同じような感覚だったのではないでしょうか。そんな気がするのです。
「必要とする人が、必要とする時に、気づけばずっとそこにいてくれたことを知る、そんな存在」なのではないかと、別記事で書きましたが、それは今言った感覚から出て来た印象です。
いつでも、誰のためにでも、例えそれが自分に悪意を持っている人であろうと、その人の心に思いを届けようとする。その心持ちが、歌声にきちんと現れているからこそ、必要とした時に、ずっとそこにいてくれたと感じられるのだと思います。
それだけではありません。三宅由佳莉さんの歌声を聞き、その立ち居振る舞いをご覧になった多くの人が、三宅さんの中に、我々が失ってはならない日本人としての美徳を見ているのではないでしょうか。そして、そのことに一筋の希望を見出し、この国はまだ大丈夫だという安心感を得ているように思えるのです。
そんな立ち居振る舞いの、最たるものが、いつも絶えることのない「笑顔」です。いつも笑顔でいるなんて、途轍もないチャレンジです。並の人間にできることではありません。しかも作り笑いじゃないんです。心からの笑顔です。
やっぱり「一体、何なんだろうこの人は」と思わずにはいられません。
掴み所のない魅力とでも言いましょうか、変幻自在にみんなの度肝を抜きながら、いつも同じところに帰って来て、またみんなを安心させる。
そんな三宅由佳莉さんの持つ「効能」は尽きることがないのかも知れません。