これまで、「三宅由佳莉さんの憂鬱」という記事を2本ほど書きました。シリーズと呼ぶには数少ないですが、その目指すところは、三宅由佳莉さんに対する誤解や偏見に基づく誹謗中傷など、非建設的な批判に対し、僭越ながら、三宅さんに成り代わり反論を展開する、というものです。どんなに辛辣で耳が痛いものでも、建設的なものや、三宅さんの励みになるであろうものは対象外です。
まだ書いていないネタがいくつかあるのですが、中には「憂鬱」というシリーズにはそぐわない類の批判があることに気づきました。
今回ご紹介するのは、そんな類のブログ記事です。
「whomeohのblog長崎ぶらぶら平和日記」というブログですが、記事は2013年8月22日付ですから、三宅由佳莉さんのデビューアルバム「祈り〜未来への歌声」がリリースされる直前に書かれたものです。
タイトルは
「認められない自衛隊の音楽隊」
なかなか挑発的です。
ブログ主様は、自衛隊は憲法違反であるとの信念をお持ちの方です。
意外に思われるかもしれませんが、私はこのような考え方に違和感はありません。もちろん、思想信条の自由が大切だということもありますが、自衛隊合憲論は条文の解釈によって成立している、すなわち「合憲と解釈する余地があるので合憲」とされているに過ぎないと思うからです。「明らかに合憲」ではない以上、違憲論があって当然だと思います。
そして自衛隊は、そのような考えを堂々と表明する自由が保証されている我が国を、命を懸けて護ります。自分たちを忌み嫌い、蔑む人々をも、危険を顧みず護り抜く、そのことに誇りと使命感を持っているのです。
すみません、すぐ脇道に逸れるのが私の悪い癖です。
さて、問題の記事は、次のように締めくくられています。
「私は自衛隊は憲法違反で、自衛隊は武力は持ってはいけないと信じている。災害救助などの一部の任務以外は認められない。よって自衛隊をPRする音楽隊は認められない。音楽活動は自衛隊のほかですればよい。「歌手採用」とは何事かと言いたい。大きな無駄と感じるのは、私の独りよがりだろうか。」
どうでしょう、ここだけを読むと、三宅由佳莉さんに対し、どれほど批判的な内容が書かれているのだろうと思いますよね。
ところがです、私はこの記事をとても微笑ましい気持ちで読みました。
書き出しがこうです、
「今、海上自衛隊東京音楽隊の三宅由佳莉が人気だ。日本大学芸術学部音楽学科声楽コースから、4年前に自衛官初の「歌手採用」で海自に入隊。清楚で可憐なルックスと透明感のある歌声から、熱烈なファンも多く、「海上自衛隊の歌姫」として既にTVやWEB等多数媒体からも注目されている。」
記事の枕として、事実関係の紹介から入るのは分かるとしても、何故に「清楚で可憐なルックスと透明感のある歌声」という評価まで書く必要があったのでしょう。この書き振りは、引用ではありませんから、自分の評価ということになりますよね。
さらに、
「三宅のCDデビューも決まった。デビュー・アルバム「祈り~未来への歌声」を8月28日に発売する。
初のアルバムは、海自音楽隊長の河邊一彦氏が作曲したオリジナル曲「祈り~ a prayer」の他、「アメイジング・グレイス」「夢やぶれて(《レ・ミゼラブル》より)」「花は咲く」「ふるさと」等、幅広いジャンルから感動の名曲ばかりを収録。アルバムの発売に先駆け、7月17日に、「祈り~ a prayer(Piano version)」の音楽配信が各主要サイトにてスタートした。」
と、間もなくリリースされる三宅由佳莉さんのデビューアルバムのことを詳しく紹介さえしています。
続けて、
「この楽曲は、2011年3月11日の東日本大震災によって大切な家族を失ってしまった子供たちや、被災者の方々への応援歌として作曲され、「希望」がよみがえり、「夢」が実現され、いつか明るい「未来」が来ることを祈り歌われている楽曲。この曲のYouTube再生回数は既に30万回以上超えている。」
ここまで読むと、どう考えても、「どうよ、すごいでしょこの人」と言っているようにしか思えないのです。
その後も、批判的な内容は見当たらず、最後になって、ようやく自衛隊違憲論が顔を見せ、かろうじてタイトルに手が届きます。
私はこう解釈しました。
このブログ主様は、三宅由佳莉さんに魅了されてしまったのではないか。
自分が長年「違憲の存在」として廃止・解体を主張してきた自衛隊の隊員である三宅由佳莉さんに魅了され、心が鷲掴みにされたことに、戸惑い、ある種の罪悪感を感じてしまったのではないか。
でも、三宅さんの魅力について書きたい、書かずにはいられない。
そのような葛藤の末、「認められない自衛隊の音楽隊」というタイトルと、自衛隊違憲論の結語でサンドイッチした、三宅さんを讃える記事を書いたのではないか。
もし違っていたなら「ごめんなさい」ですが、この記事からは三宅由佳莉さんに対する暖かい目線しか感じられないのです。
そして、どうしても書きたくなるという気持ちは私自身よくわかります。
ご自分の主張に拘泥する必要はないと思います。もっと素直になってもいいんじゃないでしょうか。いいものはいいのです。
件の記事をお読みになりたい方は下のリンクからどうぞ。テレビ画面を撮影した写真が挿入されていたりして、どう見てもファンの目線だなぁと思えます。
どうでしょうか、私はこの記事のおかげで、三宅由佳莉さんの恐るべき威力を改めて思い知らされたのでした。