(まだ海士長の階級章をつけている三宅由佳莉さんです)
海上自衛隊東京音楽隊の歌手である三宅由佳莉さんは、日大藝術学部で声楽を修められたソプラノ歌手ですが、任務の特性上、驚くほど幅広いジャンルの楽曲に取り組んでこられました。そのレパートリーは、おそらく数百曲に及ぶのではないかと思われ、今この時も、更なる挑戦を続けておられるに違いありません。
来月にエントリーが予定されている「ニコニコ超音楽祭2018」でも、私たちを「あっ」と言わせるようなミラクルなチャレンジが用意されているのではないでしょうか。楽しみですね。
そんな三宅さんのレパートリーのうち、記事タイトルに掲げた「里の秋」は、他の楽曲とはちょっと違った位置付けにあるのではないかと思います。
我が国が大東亜戦争に破れた後、大陸や南方で武装解除された多くの兵員の復員事業が始まりましたが、そもそも、兵役に差し出した家族が生きているのかどうか、そんなことさえ分からない混沌状態がしばらく続きます。また、復員兵にしても、自分の住んでいた街が廃墟になっていて、家族の行方がわからないといったことも珍しくありませんでした。そこで、復員兵と家族の情報を共有することを目的に、NHK(勿論ラジオです)が放送していた番組が「復員便り」です。現在、災害時等に流される安否情報と似ているかも知れません。ただ、規模が桁違いです。
実際の「復員便り」の音源がありますのでちょっと聞いてみてください。
「里の秋」は、「復員便り」のテーマ曲でしたが、外地で終戦を迎えたであろう夫・父の無事を祈りながらその帰りを待つ母子の健気な様が多くの国民の心を打ったのでしょう、大好評だったようです。
戦争に敗れ、一家の大黒柱である夫・父は遥か遠い外地にいるはずだが、安否は知れず、普通に考えても絶望的な状況なのに、この曲は、夫・父の帰りを信じて、母子睦まじく困難を乗り越えようとする様を、怒りや恨みではなく、ある種の諦観と希望の灯火という切り口で表現しています。そして、この曲が広くわが国民に支持されたということは、その当時の国民一般の心情を的確に表した曲であるとも言えるでしょう。
そういう意味で私は、東日本大震災の後に作られた、「祈り〜a prayer」や「花は咲く」と同じ役割を果たした曲なのではないかと思います。恐ろしいほどの喪失感を日本の社会全体が抱えていたあの時代、それを埋めることは誰にもできないかも知れないけれど、絶望的な状況の中に希望の灯火がある風景というものが、多くの人々の心を癒したのではないでしょうか。
この動画は、東日本大震災が起きた2011年の10月10日(月)、「君が代」発祥の地として知られる本牧山妙香寺(横浜市中区)で行われた、横須賀音楽隊の「日本吹奏楽発祥百四十二年記念演奏会」にゲスト出演した三宅由佳莉さんの「里の秋」です。
まだ、海士長の三宅さんですが、震災現場への連日の日帰り慰問演奏を通じて、思うところもあったでしょうし、直前の10月6日(木)には、すみだトリフォニーホールでの定例演奏会で「祈り〜a prayer」が初演されたばかりです。「里の秋」が歌われた時代背景を勿論ご存知の三宅さんの心中に様々去来するものがあったことでしょう。
そのような「里の秋」は、数ある三宅さんのレパートリーの中でも、一種特別な位置を占める曲なのではないかと思います。
そして、2015年10月11日(日)、観艦式のちょうど一週間前、観艦式に伴う「FLEET WEEK」関連行事の一つとして、護衛艦「いずも」の巨大な格納庫内でシンポジウムが行われました。その一環として開催された、帝国海軍から海上自衛隊に至る、海軍の歴史をテーマとした演奏会でも、三宅由佳莉さんは「里の秋」を歌われました。
johsanさんからの情報提供です。ありがとうございました。
下の動画は、その演奏会での三宅さんの歌唱にフォーカスした編集動画ですが、「蘇州夜曲」「里の秋」「海のさきもり」の順で歌われますので、是非ご覧になってみてください。上の動画とはまた一味違う、少し大人の情感が込められた歌唱になっていると思います。
また、「蘇州夜曲」と「里の秋」を歌い終えた後には深々とお辞儀をされますが、「海のさきもり」の時にはお辞儀ではなく、「10度の敬礼」をされているのも注目点です。この辺については、以前「三宅由佳莉さんのお辞儀と敬礼」という記事に書きましたので読んでみてください。