1936年(昭和11年)の今日、東京において、帝国陸軍の若手将校による、部隊を率いての叛乱事件が起きました。
今回は、「二・二六事件」として知られるこのクーデター未遂事件について書いてみたいと思います。と言っても、私はこの事件の研究者ではありませんし、当時の国内・国際情勢について特に詳しいわけでもありませんから、細部に立ち入ることはしません。しかしながら、門外漢の立場で見ても、この事件については釈然としないところがあるので、その点につき述べてみたいと思います。
その前に、はっきりさせておきたいのですが、軍のクーデターなど、如何なる理由があろうと許されるはずがない、というのが私の確固たる考えです。
以前、「お辞儀と敬礼」という記事で、「国民から殺傷能力のある兵器・武器を預かる軍事組織である自衛隊は、鉄の統制と秩序を維持する必要があります。だからこそ、敬礼を義務化して、常に階級というものを意識させているのだと、私は理解しています。」と書きました。
「国民から兵器・武器を預かっている」ということが重要です。国家の暴力装置である軍隊は、国家の意思、すなわち国民の意思に反してこれを使用することなど許されるはずがないからです。
さて、「二・二六事件」について、ブリタニカ百科事典には次のように記載されています。
「1936年2月 26~29日,東京で,国家改造を目指す陸軍青年将校が陸軍部隊を率いて反乱,クーデターを試みた事件。 26日早朝の蜂起後,27日東京に戒厳令がしかれたが,28日反乱部隊は「騒擾部隊」とされ,原隊復帰の奉勅命令が出された。 29日に反乱は終り,首謀者 19人は銃殺,3月には,統制派が事件を利用し林銑十郎ら皇道派指導格の4大将を追放,発言権を強めた。」
これが、この事件に対する平均的な認識なのでしょう。でも私は釈然としないのです。あれだけの大事件が、まるで陸軍内の派閥抗争であったかのような括り方をされているように見えるからです。
門外漢ですから仮説を立てる立場にはありませんが、私なりにイメージしているこの事件のストーリーは次のようなものです。
統制派、すなわち陸軍大学校(陸軍士官学校ではありません、大尉・少佐クラスが選抜試験を受けて入校する、高級将校への登竜門です)卒のエリート軍人官僚を中心とするグループは、統制経済による高度の国防国家建設を目指していました。そのモデルとしたのはソ連の共産主義体制です。彼らは、天皇と共産主義は矛盾なく共存できると考えていたのです。ですから、国是として「反共」を掲げていたにも関わらず、国防の中核たる軍の中枢には共産主義思想を信奉するエリート将校がうようよいたのではないかと思えるのです。当然、コミンテルンの意図を体した共産主義者などとの交流もあったはずです。
つまり、政策立案中枢にソ連の影響が及んでいた可能性があると思われます。
関東軍は、ソ連の南下に備えて満州に展開させておけば良いものを、なぜわざわざ中国北部に侵攻させたのか、このように考えるとわかる気がするのです。統制派のエリートは、自分たちが情勢をコントロールしているつもりで、ソ連の手玉に取られていただけなのではないでしょうか。
一方、「二・二六事件」を起こした皇道派の将校らは、共産主義を否定し、国内の特権階級を排し、天皇を中心とする平等な社会を建設することを夢想していました。当然、ソ連とはあくまで対峙すべしとの考えではありましたが、国内の懸案事項を解決することが最優先であり、統制派のエリートが構想する中国北部への侵攻など認められないという立場でした。
つまり、統制派にとってというよりは、ソ連・コミンテルンにとって、皇道派は邪魔な存在だったはずです。
皇道派の理論的支柱は、北一輝でしたが、青年将校らに対し「時期尚早」と諌めたと言います。政治の中枢に腰を据えた統制派のエリート将校とは違い、貧しい農村から徴兵されてきた部下たちの悲惨な話を聞いている皇道派青年将校らには、決起に至る強い動機があったとは思いますが、誰より天皇への忠義心が篤い彼らが、天皇の軍隊を勝手に動かす暴挙に出るには、何か強い影響力が必要だったのではないかと思うのです。
私は、皇道派青年将校らを強くそそのかしたグループがあるのではないかと考えています。成功の見込みのないクーデターを起こさせ、皇道派の息の根を止めるのが目的です。背後にいるのは当然ソ連・コミンテルンでしょう。コミンテルンは、統制派も皇道派も手玉に取り、日本を自滅の方向に向かわせたのではないか。
私は、戦後の経済復興を果たした頃の日本は、資本主義国というよりは、高度に発達した社会主義国だと思っていました。日本型の商習慣その他の習慣によりあらゆるものの調和が取れ、極端に富む者も、極端に貧しい者もなく、非常に平等かつ高度に秩序ある社会が実現していたからです。
ところが、いつの頃からか、グローバリズムなるわけのわからない思想が我が国の政界、官界にはびこり、日本的な調和のとれたシステムを破壊し尽くしています。
私は思うのです、昔も今も、外部勢力の都合のいいように、我が国は手玉に取られ、破滅への道を歩かされ続けているのではないかと。
皇道派の青年将校の軽挙は許されるものではありません。しかしながら、彼らが感じていた危機感は正しかったと言わざるを得ないと思います。
頭の良い振りをして、国を誤る者よりも、愚直なまでに、日本人らしくあろうとする者を私は支持したいと思います。