あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

三宅由佳莉さんの逡巡と、「なんでもやります」

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  私は、現役自衛官の頃も、退役してからも、自分のメンタルには自信がありました。何があっても、絶望したり、悲観したりせず、置かれた状況の一番いいところを探して「よし、運がいい」と感じる心の仕組みになっているからです。一般的には「鈍感」と表現するらしいです。

 ですから、仕事や人間関係でストレスを感じることはまずありません。

 そんな私だからこそ、退役後、別の形でメンタルが蝕まれていることに全く気づかずにいたのです。ひょんなことから三宅由佳莉さんの歌に出会い、突然、自分の状況に気付かされ、時間をかけて癒された経緯を「三宅由佳莉さんの効用」と言う記事に書きました。

retcapt1501.hatenablog.com

 

 そんなこともあって、メンタルケアやトラウマケアに関する本を時々読むのですが、被災地支援にまつわる話で、ハッとさせられる記述がありましたので、以下に引用します。

 以下は、東日本大震災において、ある現地支援者が外部支援者に伝えた言葉である。

「先生、実は支援チーム達の『なんでもやります』という言葉が、平時なら決して思わないはずなのに、現地支援者にはとても重たくて、もう、そのような言葉を受け止める余力も残っていないのです。そして、外部支援者の使命感やエネルギーを現地支援者にぶつけられることをストレスに感じ、そのように思ってしまっている自分たちに罪悪感を感じるのです。

 外部支援者の使命感やエネルギーは、時に現地支援者を苦しめることがある。被災地外から支援に入る外部支援者は、そのことを念頭に置き、支援活動にあたる必要がある。

〜野口普子編著『看護師・コメディカルのための医療心理学入門』(金剛出版 2016)〜

 

 やる気だけではダメだ、過酷な状況に置かれた人々の心に寄り添うことが必要だということなのでしょう。でも、それは言うほど容易くはないと思います。身も心も疲れ切っている被災者の方々の心に寄り添うということがどういうことなのか、そんなことが簡単にわかるはずもないからです。

 他者の痛みを感じ取るには、豊かな想像力と感受性が必要だと思いますよね。でも、一番大切なのは、被災者の置かれた状況や、彼らの気持ち、想いを理解することなどできない、という事実を受け入れることだと思います。彼らと同じ立場でものを考えることなどできないという「事実」を受け入れて、初めて謙虚になれるし、わからないと認めるからこそ、想像力と感受性が生きてきます。

 わかったつもりになって、自分の善意ややる気をぶつけるから「なんでもやります」という無神経な言葉が、自分を満足させるために出てくるのだと思います。

 以前、「三宅由佳莉さんの涙」と言う記事で、三宅さんが「祈り」を歌うことに抵抗を感じたというエピソードを紹介しました。

retcapt1501.hatenablog.com

被災してもいない自分が、この歌に感情を込めて歌うことは、却って被災者の方々の心を傷つけることになるのではないか

 どうでしょう、先ほどの引用で指摘された、支援者による意図せぬハラスメントというものを直感的に理解されたからこその抵抗感だったのではないでしょうか。

 まさに、「痛みに寄り添う」心のなせる技なのだと改めて感じ入った次第です。