12月8日は何の日かご存知ですか?
昭和16年、今から76年前のこの日、我が国は米・英両国に宣戦布告し、大東亜戦争に突入しました。
という書き出しを見て、「つまらなさそう」と思った方、この記事は、そんな方にこそ読んでいただきたいのです。
我が国では、8月15日の終戦記念日には、各テレビ局がこぞって特集番組を組み、毎度毎度、大東亜戦争の悲惨さを伝え、二度と惨禍を繰り返すまい、との論調が展開されます。
ところが、12月8日の開戦記念日や宣戦の詔勅、つまり、何故我が国が、米英両国を相手に宣戦を布告するに至ったかについては殆ど顧みられることがありません。
私も、戦争などというものがなければ良いと思います。というか、そもそも戦争が起きて欲しいと願う人などいるのでしょうか。
当時の日本人だって同じです。長引く中国との「事変(実質は戦争です)」に疲れ果てていた我が国が、米英という超大国相手に新たに戦端を開くなど、正気の沙汰ではありません。
つまり、宣戦を布告せざるを得ない余程の事情があったに違いないと考えるほかありません。開戦に際して公布された宣戦の詔勅を聞いてみましょう。
現代人には解り難い表現も多いので、原文と現代文を対比させたサイトをご覧ください。
http://www.shgshmz.gn.to/shgmax/public_html/news/war_declare.html
サイト主様の「われわれ日本人が共有しなければならない負の歴史的遺産の一つ」という評価には全く賛同できませんが、事実関係資料として引用させて頂きました。
これが、当時の国際環境に対する我が国の認識であり、国家と国民が生存するために行った決断です。
誰のものでもない、われわれ日本人の認識と決断なのです。
現代の日本人の、大東亜戦争に対する評価は、「当時の一部の軍国主義者が無謀な戦争を引き起こして、国民を悲惨な戦争に巻き込み、アジア諸国に多大な迷惑をかけた」というものではないでしょうか。
まるで人ごとのようなこの評価は、どこから来たものなのでしょう?
繰り返しますが、大東亜戦争は、他でもない、われわれ日本人の決断ですし、その決断に至った国際情勢の認識は、私たちにとって、まさに歴史認識そのものなのです。
最近、我が国の歴史認識に対する、一部の近隣国からの批判に迎合し、歴史認識の共有を模索する動きも見られますが、理解できません。
他国との歴史認識の共有など出来るはずがありません。認識なのですから。
正確な歴史的「事実」の共有は、ある程度可能かもしれませんが、それぞれ個別の事情を抱えた国家の「認識」をどうしたら共有できるというのでしょうか。馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。
現代を生きる私たちは、当時の日本人との繋がりを感じることができないでいるのではないか、当時の日本人に謂れなき罪を負わせ、知らぬ顔をして生きているのではないか。私にはそう感じられるのです。
日本人の意識に刷り込むために、誰かが作り上げた当時の日本のイメージを盲信するのではなく、自分の頭で考えることが必要だと思います。
そこには、勿論判断の誤りや、過ちもあったことでしょう。しかし、私たちが誇りに思っていいこともたくさんあったはずです。
大東亜戦争での交戦国の一つであるオランダのアムステルダム市長によるメッセージを紹介する記事動画があります。
是非ご覧になってください。
因みに、我が国の歴史認識に関し、海上自衛隊では教育等を実施していません。あらぬ誤解を招かぬよう、敢えて付言します。
こんなことを、わざわざ書かなければならない我が国の現状が正常とは思えませんが、現役の諸官にいささかでも迷惑がかかりかねない種は除かねばならないのです。