今回のタイトルは「三宅由佳莉さんの憂鬱」です。
タイトルに相応しいアイキャッチ画像を、一生懸命探しましたが、どこを見ても満面の笑顔ばかりで…ようやく憂い顔風の写真に出会えました。
ことほど左様に、人前で憂鬱そうな表情や素振りを見せることのない、三宅由佳莉さんですが、「祈り」という曲のヒットを契機に、世間に名が売れ、メディアへの露出が増える中で、誤解に基づく、あるいは悪意による批判や誹謗中傷が少なからずありました。三宅さんが運営していたアメーバブログ「みやけゆかりです。」が閉鎖されたのもそんな心ない誹謗中傷が原因だったのかもしれません。
何があっても、すべて受け止めたうえで、前向きにご自分の「使命」と向き合おうとされている三宅さんは、ご自分に対する批判や誹謗中傷に反論する機会がありませんし、おそらくそのつもりもないでしょう。
すべてを飲み込み、いつも笑顔を絶やさないと心に誓っているからです。その笑顔の下に、どれほどの辛さ、悲しさ、悔しさが、そしてどれほどの努力が隠されているのでしょう。
今回は、というかこのシリーズは、そんな三宅さんに替わり、非建設的な批判コメントに反論していくことを目指しています。建設的な批判コメントには触れません。
反論と言っても、感情的にならず、ジェントルに、慇懃に行いたいと思います。
今回取り上げるのは、私の最もお気に入りの動画に対する、あまりにも意味のないコメントです。
以前、「三宅由佳利さんの秘めた想い」という記事で紹介した「Stand Alone」の動画です。http://retcapt1501.hatenablog.com/entry/2017/10/29/092915
多くの方が、「感動した」「涙が出た」「是非東京オリンピックで披露してほしい」と、心を打たれたことを報告しています。
そんな中で、一つ際立っていたのが次のコメントです。
「あのねえ、こんなお粗末で下手糞が唄うのって日本の自衛隊だけだよ。他国から較べて聴くに堪えんよ。即刻、止めて呉れ。幹部連中は何、考えてるんだろうね。本人もその気になってるのが醜い。こんな駄物を絶賛してる連中って世界お知らずも良いとこだ。だから日本は世界中から馬鹿にされてるのが判らんかねえ。」
このコメント、何か意味があるのでしょうか?
私は音楽素人ですし、この動画をみている人の殆どがそうだと思います。そんな我々からすれば、三宅さんは素晴らしく上手な歌い手です。このコメントを書いた方は、自分も素人で、歌の上手い下手も解らないくせにただただ三宅さんを貶めるためにこんなどうでもいいコメントを書いたのか、あるいは、声楽に造詣が深く、専門家としての御所見を開陳されたのかはわかりません。我々が世界中から馬鹿にされているのかも、寡聞にして知りませんが、そういう具体的な情報にも通じておられるほどですから、おそらく声楽界では知らぬ者のない大物、「重鎮」様なのでしょう。
そんな声楽界の「重鎮」様に動画を観ていただけるのは三宅さんにとっても光栄なことだとは思いますが、この「重鎮」様、大事なことをお忘れのようです。三宅さんは、私たちのような音楽素人の日本人、大多数の普通の日本人の心に向けて歌を届けておられるのです。このコメントを書かれた「重鎮」様のように、洗練された歌唱技術で凌ぎを削るような高尚な世界以外は、音楽とは認めない、素人が楽しむのも許さないという、ごく少数の限られた方々は、申し訳ないが、三宅さんが歌を届ける対象にはなりようがないのです。
これだけのことを仰る「重鎮」様にして、自衛隊の音楽隊や、三宅由佳莉さんの「使命」をご存知ないなどということは、よもやあり得ないとは思いますが、仮にご存知なくて、このような、美しさの欠片も感じられないコメントを書かれたのだとすれば、
「そんなことも知らずに、こんな駄文を公の場に晒すなんて、世間知らずもいいところだ。だから技術にばかり目がいって本質を弁えない声楽界の重鎮とやらが日本中から馬鹿にされているのが判らんかねえ」
という声が聞こえてきそうです。
私が言ってるわけじゃありません。そんなコメントが飛んできそうだなと予想を述べているだけです。
大多数の「普通の」日本人の心に十分すぎるくらい歌が届いているのですから、三宅由佳莉さんは、その「使命」を達成されているわけです。
上のコメントがいかに意味のない、無駄なものであるか、おわかりいただけたこととおもいます。
でも、本当に声楽界の「重鎮」様なのでしょうか。あれだけ自信たっぷりに言えるのですから、間違いないとは思いますが、それにしてはウィットも捻りもないし、「重鎮」様に相応しい品性に欠けるコメントだとは思います。
今回はこの辺で。シリーズは続きます。