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今回は、私が広島県の江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校を卒業し、遠洋練習航海部隊の実習幹部として米国を訪問した際に、印象に残ったエピソードを紹介したいと思います。
私たちの遠洋練習航海は、北米・南米の7カ国13寄港地を訪問するものでしたが、7番目か8番目の寄港地がニューヨークでした。
第二次大戦中に建造され、既に現役を退いて洋上博物館として桟橋に係留されていた空母イントレピッドの近くに横付けしたのは、朝の7時半頃だったでしょうか。
海上自衛隊では、毎朝8時に自衛艦旗(陸上部隊では国旗)を掲揚します。休日も祝日も関係なく、毎日です。
通常、自衛艦旗の掲揚・降下は、航海科の隊員による「らっぱ君が代」の吹奏にあわせて行います。興味のある方は下の動画を御覧ください。
通常はそうなのですが、遠洋航海部隊には海上自衛隊の6つの音楽隊から選抜された臨時編成の音楽隊が乗艦していますので、音楽隊による普通の「君が代」吹奏にあわせて自衛艦旗を掲揚します。そして、外国の港に停泊中は、「君が代」に引き続き、停泊国の国歌を吹奏します。
ニューヨークの桟橋に横付けし、入港後の作業も一段落したところで、自衛艦旗掲揚の時間となったのですが、丁度、出港したばかりの客船がすぐ側をゆっくり進んでおり、多くの乗客が物珍しそうに身を乗り出して、我々の艦隊を見物していました。
その中で、君が代に引き続き、合衆国国歌の吹奏が始まると、客船の乗客から大歓声が湧き上がり、拍手と口笛の嵐となりました。
まさに米国人らしい派手な反応ですが、自国の国歌を吹奏してくれたことに対する感謝と、何より、国歌に対する誇りと強い愛着が感じられました。
さて、ニューヨーク市警から、上陸時の注意事項などを賜ったのち、当直員以外の実習幹部は上陸します。実習幹部は、どの寄港地でも私服上陸は認められておらず、全員制服です。
これがニューヨークか、と心躍らせながら、ブロードウェイや五番街などを歩き回り、セントラルパークやエンパイアステートビルの屋上にも行ってみました。
9.11の悲劇により、今はなくなってしまった世界貿易センターのツインビルにも足を向け、地下街を歩いていると、ある米国人から声をかけられました。
「君たちはフィリピン海軍かい?」
見下しているわけではありませんが、フレンドリーな中にも、なんとなく上から目線で言われているような気がしました。
「いいえ、我々は日本海軍です」
そう答えた瞬間、彼の顔色がサッと変わり、背筋を伸ばして、握手を求めてきました。そして、強く手を握りながら言いました。
「そうか、日本海軍か、是非頑張ってくれ」
その目には、さっきまではなかった敬意が見て取れました。
その時は、よくわかっていなかったのですが、彼の示した敬意は、旧帝国海軍を通じて我々に示されたものであったと、今は理解できます。
両国が干戈を交える事態に陥ってしまったことは間違いなく不幸なことではありましたし、そのことが長く消えないわだかまりを残したことは確かです。
他方、互いに威信をかけて互角の死闘を繰り広げたからこそ、憎しみとは裏腹の畏敬の念を持ち得たことも事実なのです。
我々は、決して戦前の日本から切り離されてなどいません。先人が命と引き換えに示した勇気と尊厳に対する諸外国の敬意と畏れ、それがあるからこそ、戦後の日本は軽んじられることなく、国際社会において確固たる地位を占めているのです。
私たちは、様々な形で、その恩恵に浴していることを忘れてはならないと思います。
安部総理が、平成27年4月に米国議会で行った演説にそれを理解する鍵があります。
興味がある方は覗いてみてください。