あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

護衛艦「あやせ」沖縄へ向かう

 超大型の台風18号がいよいよ九州に上陸し、今後日本列島全体を余すところなくその勢力圏に収めつつ北上していくことが予想されています。せっかくの連休ですが、行楽や旅行の予定をキャンセルされた方も多いことでしょう。

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 台風が接近すると、洋上では風雨に加え、波とうねりが激しさを増し、航行中の船舶にとっては大変困難な状況になります。

 大東亜戦争前の昭和10(1935)年、岩手県沖において、台風の真っ只中で強行された帝国海軍第4艦隊の訓練中、最新鋭の駆逐艦「初雪」「夕霧」は、艦橋前付近で艦体が切断され、艦首部を失うという大損害を被りました。軍縮会議による総トン数の縛りの中で、可能な限り艦体を軽量化しつつ重武装化を推進したことにより、艦体強度が不十分だったことが原因です。

 この事故のことは、防衛大学校の「船舶工学」の授業でも習いました。防衛大学校では、第2学年に進級する際に、陸海空の要員区分と専攻する学科が決まります。私は機械工学専攻の海上要員でしたので、航法や操艦法など海上要員としての訓練を受けつつ、「船舶工学」「流体力学」「金属材料」など機械工学に関する科目を学びました。

 防衛大学校では、夏季休暇の前に、要員区分ごとの夏季訓練が行われます。当時、第2学年海上要員の夏季訓練は、護衛艦への乗艦実習で(今もそうなのかはわかりません)、100名ほどの海上要員は、各地の護衛隊に振り分けられました。

 私が初めて「海上要員」として乗艦したのは、横須賀を定係港とする護衛艦「あやせ」でした。護衛艦といっても、沿海でのオペレーションを任務の柱とする地方隊用に建造された排水量1,500トンほどの小型艦(DE)です(現在の海自最大の護衛艦「いずも」「かが」の1/10ですね!)。同型艦の「のしろ」とともに第33護衛隊を編成していました。

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(航行中の「あやせ(DE-216)」。アスロックランチャーがやけに大きく見えます。)

 第2学年海上要員を乗せた「あやせ」と「のしろ」は、隊として沖縄の勝連港に向かうことになっていました。「隊として」というのは、それぞれの単艦行動ではなく、隊司令の指揮の下、第33護衛隊として行動するということです。

 折悪しく、沖縄方面から大きな台風が二つ、本州に向けて北上してくることが予報されており、我々実習員は、予定が変更されるのだろうと予想していました。

 ところが、隊司令の判断は「予定通り勝連に向かう」とのこと。私たち実習員の教育係でもある防大卒の若い士官からは「この艦は、日本近海のうねりの波長とちょうどシンクロする長さなので、よく揺れるんだよね」と、知らなくてもいいことまで教えられ、いやな予感はしていました。

 浦賀水道を抜け、外海に出た途端、先輩士官の言葉どおり、いやな揺れが始まり、しばらくして台風によるうねりが届くようになると、私たちの地獄が始まりました。なにしろ二つの台風の真ん中を突っ切って行くのです。

 士官室にはクリノメーターという左右の傾斜角を示す計器がありますが、確か最大傾斜45度くらいだったと思います。護衛艦は90度まで倒れても、ちゃんと復元するように設計されていますので、45度くらいの揺れは全く問題ありません。全く問題ありませんが、乗っている人間にとっては相当問題です。左右の傾きだけでなく、上下の大きな動きも加わりますので、上に放り投げられたあとに下に叩きつけられるということが、延々と続くわけです。帝国海軍駆逐艦「初雪」「夕霧」の悲惨な事故のことも頭をよぎりました。「こんなに叩きつけられて、艦は大丈夫なのか?」

 私たち実習員は、一人の例外もなく酷い船酔いに悩まされ、皆、嘔吐用の袋を片手に艦橋やCIC(戦闘指揮所)での当直実習を行いました。すごいなと思ったのは、そんな環境のなかでも、艦の乗員は全く平気で、タバコを吸いながら(当時の護衛艦内は喫煙可でした)、笑顔で我々を指導してくれたことです。我々は、食堂に行っても食事がほとんど喉を通らないのに、乗員は皆、激しい揺れに合わせて、食事を盛った金属プレートを巧みに水平に保ちながらもりもり食べています。こいつら人間じゃないと思ったものです。

 逃げ場のない苦しみ。どこに行こうが、寝ようが起きていようが、何も助けにならない。ただただ、耐えながらこの状況が終わるのを待つしかない。そんな状態が3日3晩続いたあと、隊はようやく沖縄周辺海域に到達。まばゆい南国の陽光を浴びながら、勝連の桟橋に係留することができました。

 はじめての乗艦実習で、大変な目にあったおかげで、以後、何度も乗艦実習に参加しましたが、二度と船酔いすることはありませんでしたし、辛いことや、厳しい状況に直面しても、「あの時のことを思えば」、と考えると、「なんとかなる」と思えるようになりました。

 鉄は熱いうちに打てとか、若いころの苦労は買ってでもしろといいますが、まさにそのとおりだと、身をもって感じた次第です。

 

 つまらない思い出話ですみません m(_ _)m

 

 沖縄行きの話題でしたので、三宅由佳莉さんがうるま市で歌った「涙そうそう」の動画を紹介します。この動画、三宅さんには珍しく途中で歌詞がわからなくなるのですが、それでも歌い終えたときには、バックで演奏する佐世保音楽隊の面々は満足そうな笑顔をみせ、聴衆からも割れるような拍手喝さいを浴びています。

 私は思うのですが、三宅由佳莉さんの歌声を聞きたいと思っている方の多くは、完璧な歌を求めているのではなく、彼女が一生懸命歌う姿や、全てを包み込むような、あのなんとも言えない透き通る声に癒されているのではないでしょうか。

 この動画は埋め込み再生ができませんので、下の写真をクリックしてみてください。動画にリンクしています。

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