あれこれdiary

海自OBによる偏見御免徒然あれこれdiary

横須賀音楽隊第56回定期演奏会

 音楽隊の演奏会に関する記事を書くのは、本当に久しぶりになります。

 もう、音楽隊のことは書かないのか、と思われた方もおられるかも知れませんが、決してそうではないんです。

 コロナ禍による自粛社会がすっかり日常的になってしまうなか、これまで何度も状況の緩和に伴う演奏会の予定が組まれたものの、その後の状況悪化により中止、ということが繰り返されてきました。誠に止むを得ないこととは言え、その度に右往左往するような記事を書くのは結構しんどいものです。

 でも、そんな状況も本当の意味で終焉を迎える時が来るでしょう。

 そこで、それまでの間は、一喜一憂するような記事を書くのをやめ、音楽隊の皆様と同じように、隠忍自重することにしたというわけです。

 ですから、横須賀音楽隊の第56回定期演奏会への応募に当たっても、記事にすることなく、黙ってハガキを出しました。

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 昨年終盤には一息ついたコロナでしたが、折も折、海外におけるオミクロン株の爆発的感染拡大が我が国にも飛び火し始めていましたので、正直、今回もダメだろう、そう思いながらの応募でした。

 その後、我が国内での感染拡大の状況は皆さんご存知のとおりであり、言われるように致死率・重症化率がたとえ低かろうと、法的位置付けが変わらない中、感染者数が鰻登りになっている以上、演奏会の開催はやはり不可能だろうと思っていました。

 ところがです、横須賀地方総監部の広報室によると、今回は対象を神奈川県民に限定した上で開催する運びとなったようです。

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 え? 神奈川県民限定?

 実は私、偶然にも神奈川県民です。近県のファンの皆様には申し訳ありませんが、「神奈川県民でよかった♪( ´θ`)」、と初めて思った次第です(既に当選したつもりでいる人)(╹◡╹)

 今回のプログラムは以下のとおりです。

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 お気づきのとおり、第1部はジブリ作品から、そして第2部は「鬼滅の刃」からの選曲で、全曲アニメのトラックナンバーとなっています。

 定期演奏会の位置付けは、1年間の演奏活動の総仕上げとして、音楽隊の演奏スキルを遺憾無く発揮できるような選曲がなされてきたのだと思います。

 今回、アニメ曲のみで構成されていることにはもちろん意味があるでしょう。

 周辺国の不穏な動向により、風雲急を告げるが如き国際情勢が、待ったなしの覚悟を我が国に突きつけ続けている現状にあって、極度の募集難に陥っている海上自衛隊としては、コロナ自粛により極めて限られる音楽隊の演奏会を、募集広報の有力なツールとして全幅活用したいはずです。

 このプログラムは、本演奏会が、入隊適齢期にある若い方を主たる対象としていることを明確に物語っていると思います。

 ですから、ひょっとしたら、今回の演奏会の当選者は、神奈川県民の中でも、若い方々が中心になるのかも知れません。本当にそうなのかはわかりませんが、たとえそうだとしても、我が国の安全保障を考える上で、当然すぎるほど当然の措置だと思います。

 さて、昨日jubijubizhyさんから、横須賀音楽隊の当選ハガキが届いているらしいとの連絡を出先で受け、「そうですか、帰ったら郵便受けを確認してみます」と返信しました。

 昨夜、家に帰ってから、恐る恐る郵便受けを開けてみると、いつものようにチラシが投げ込まれています。このチラシの間に何かあるはずだ(╹◡╹) そう思って、とりあえず全部鷲掴みにして部屋に戻りました。

 昨夜来、部屋で確認しているのですが、返信ハガキらしいものは未だに見つかっていません。うーん、やはりダメだったか( T_T)\(^-^ )

海上自衛隊 #横須賀音楽隊 #定期演奏会 #JMSDF #YokosukaBand

天竜二俣駅

 随分間が開いてしまいましたが、「月」の続きです。

 天竜二俣駅で、「洗って回って電車でGO!」というツアーに参加したことは前回の記事で書いたとおりです。

 jubijubizhyさんは、なかなかの趣味人で、軍艦のプラモデル製作では、子供の頃からコンテストで何度か入賞(優勝?)したほどの腕前ですし、昆虫に関しても、愛車をぶっ飛ばして山梨や長野の山に入り、登山道を外れて遭難しかかってまで珍種の採集に没頭されている方です。

 また、軍用機(特に空自かな?)のことにもとても詳しいですし、現在は、三宅由佳莉さんや海自の音楽隊だけでなく、自衛隊のよき理解者として様々なことに関心を寄せられています。何でも、突き詰めなければ気が済まない性分なのでしょう。

 そんなjubijubizhyさんですが、どうやら鉄道マニアの気もあるようで、以前から天竜二俣駅でのこのイベントが気になっていたようです。

 私も、鉄道ファンというほどではありませんが、乗り物全般にとても興味がありますので、「行ってみませんか?」とのお誘いを断る理由は一つもありませんでした。

 列車が洗車機の中を通ったり、走る線路を切り替える「転車台」の上で回転する様子を、車内で体験するなんて、なかなかできることではありません。

 そんなツアーの様子を動画にまとめてみましたのでよろしければご覧ください。

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 このツアーは、駅のホームから、転車台や車両整備施設のある区画までの、距離にすれば200メートルくらいのものですが、電車(実際はディーゼル機関車(╹◡╹))を降りてからのツアーがまた、大変興味深かったんです。

 天竜二俣駅は、人気アニメ「エヴァンゲリオン(正しくは「シン・エヴァンゲリオン)」に登場する「第3村(だいさんむら)」のモデルになっていることは前の記事でも書きましたが、転車台から放射線状に伸びる引き込み線の延長線上に建てられた4両分の扇型の車庫は、作品の中では「診療所」として描かれています。

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 この扇型車庫自体が、実は、隣接する運転区事務室や先ほどの転車台などとともに有形文化財として登録されているそうです。

 この車庫は木造なのですが、ツアーガイドの方の説明によると、この種の設備が木造であること自体大変珍しいということに加え、戦中に建設された施設が、ほぼ当時の姿のままで保存されているところに高い価値があるとのことでした。

 ご存知のとおり、先の大戦では、特に中盤以降、次々に失われていく艦艇や航空機を補うために兵器の増産をしようにも材料となる鉄の不足が深刻になり、全国から鍋釜やお寺の鐘まで徴用されていきました。そのような時代ですから、このような建屋も、可能な限り鉄材を使用しない工夫がなされたというわけです。

 扇型車庫の向かって左側に運転区の事務室跡があり、中には当時の貴重な設備や道具、看板や小物類が所狭しと展示されており、おそらく鉄道マニアには堪らない空間なのではないかと思います。

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 博物館の中には、おそらく昭和40年台頃と思われる(記録するの失念してました)同駅のジオラマも設置されていました。とても良くできていたので、空撮風に撮影してみました(╹◡╹)

www.youtube.com

 その他にも、まだ携帯電話などが登場していなかった頃、広い駅の敷地内での連絡手段として使われていた、携帯式の電話機なども展示されていましたが、携帯式と呼んで良いものやら、結構な荷物だったんじゃないでしょうか。

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 また、戦時中、空襲警報が発令されていることを示す表示板や、荷主不明荷物の受領を促す広告板など、時代を感じさせる展示物が、これでもか、というほど置かれており、とてもご紹介しきれません(≧∀≦)

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 屋内の展示物をじっくり見た後(本当はそんなに時間取れませんけど(^ ^))、再び外に出て、改めて車庫前から転車台を撮影してみました。

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 ローアングルからも一枚。歴史を感じますね。

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 転車台の左奥の方に並んでいるのが、運転区の休憩所や浴場として使われていた建物で、これらもやはり有形文化財として登録されています。ツアーガイドの方に引率されて、そちらへ向かいます。

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 右側が休憩所、左側が浴場やトイレ、そして正面に見えるのが、蒸気機関車に給水するための巨大なタンクです。もちろん、今は使われていませんけど(╹◡╹)

 浴場跡を覗いてみると、往年の人気列車の正面を飾ったエンブレムたちが、ゆったりと寛いていました。

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 そして、その奥に聳え立つ給水タンク∑(゚Д゚)

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 脚部は、震災対応のため、耐震構造に改修されているとのことですが、タンク本体は造られた時のままです。脚部を補強したとは言え、大量の水が入っていると何かと心配にもなりますので、現在は空っぽだそうです。

 とても楽しいツアーでした。別のツアーもあるようですので、今度はそちらにも参加してみようと思います・・・って、そんな簡単に行けるかよ( ´Д`)y━・~~

 最後にガイドさんが教えてくださった、「転車台カレー」を食べてみることにしました。これは動画でもご紹介したとおりですが、駅を出て、ロータリーの右奥の方の車道に面したところに、駅に背を向ける格好で、食の駅「十文字屋」さんがあります。

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 店内はこんな感じですねー

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 メニューとしては、分厚いハンバーグの乗ったカレー(美味しそうだったな)などのほか、舞茸天ぷらそば(美味しそうだったな)など、いろいろ用意されているのですが、本来の目的を忘れてはなりません。

 というわけで、私もjubijubizhyさんも、「転車台カレー」を頼みました。ええ、縁起物ですから(╹◡╹)

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 大変美味しくいただきました。ご馳走様🙏

 ようやく、天竜二俣駅のレポートが終わりましたが、他にも書きたいことがたくさんある一方、音楽隊の演奏会の話題が、そろそろ出てきていますので、浜松シリーズは、賞味期限は切れてしまうかも知れませんが、少しづつアップしていきたいと思います。

 最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました(╹◡╹) 

週末にちょっと月まで行って来ました

 久々の投稿なのに、「はぁ?」なタイトルでですよね。でも、嘘じゃないんです。

 下の動画をご覧ください。 

www.youtube.com

 そもそも、なぜ「月」まで行くことになったのか。

 実はこの週末、横須賀音楽隊の山梨公演が予定されいたのですが、ちょうど私の期の江田島卒業40周年記念行事が広島県の呉と江田島で行われることになっていたものですから、残念ながら演奏会への応募もしていませんでした。

 この記念行事は、本来昨年の5月に予定されていたのですが、コロナの影響で11月に延期され、状況が好転しないため再延期されていたのです。

 今度こそはと思っていたところにオミクロン株の感染拡大を受け、広島県は早々に蔓延防止措置の対象となってしまいましたので、今回は延期ではなく「中止」となりました。40周年を記念して母校である江田島幹部候補生学校を訪れるこの行事は、各期ごと年送りで実施されていきますから、来年度には、一つ下の期の40周年が来ますので、私の期は断念するしかなくなってしまった訳です。

 それはそれとして、実は昨年の5月の段階から、呉・江田島へ行くなら、行きか帰りに浜松で会いましょうと、jubijubizhyさんからのお誘いがあり、私も楽しみにしていたのですが、度重なる延期でなかなか実現しませんでした。

 今回は、呉に向かう前日に浜松に立ち寄り、翌日、私は呉へ、jubijubizhyさんは山梨の演奏会へ向かうことになっていました(当選すればの話ですけど(╹◡╹))。

 ところが、どちらも中止になってしまい、どうしたものかと思案しましたが、静岡県は「蔓防」の指定を受けていませんので、浜松にだけは行こうと決めた訳です。

 21日の金曜日と22日の土曜日にかけて、二人でいろんなところを訪ね歩き、とても楽しい週末を過ごすことができました。

 ものすごく濃い二日間だったので、とても書ききれませんが、二日目に天竜川を遡り(いえ船じゃないです、jubijubizhyさんの愛車で)天竜二俣駅を訪ねた際に、「この先に「月」というところがあるので行ってみましょう」ということになったのでした。

 なぜ、天竜二俣駅へ?

 ご存知でしょうか、天竜浜名湖鉄道の「天竜二俣駅」はアニメフリークから「聖地」と呼ばれるところらしいです。

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 エヴァンゲリオンに登場する「第三村(だいさんむら)のモデルになったのが、昭和レトロな雰囲気がそのまま残っているこの駅とのことで、テレビを見ない私は知りませんでしたが、現在、浜松市がアニメとのタイアップで展開している「人類乗車計画」という企画の一つであるスタンプラリーの「01」番がここ天竜二俣駅と言う訳です。

 ちなみに、「第3村」の名称が、駅舎やホームにもか掲げられていましたが、これは現在のイベント用であって、2月1日からは元に戻るのだそうです。

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 でも、このイベントをやっていることが訪ねてみた理由じゃないんです。

 大変貴重な歴史的な建造物や鉄道関係の博物資料も豊富ですし、電車に乗ったままで車両の洗車機を通ったり、転車台で機関車の向きをぐるっと変える様を体験できたりする「洗って回って電車でGo!」というツアーに参加してみよう、ということになったのでした。

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 集合時間の1100に、運よく真っ先に並ぶことができた私たちは1番、2番のカードを手に入れ(別に何のメリットもないんですけど(≧∀≦))ツアー開始時刻である1130を待つことになりました。

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 ここからが楽しいんですけど、まだまだ動画や写真の整理が追いつかないので、別記事にさせていただきます(≧∀≦)

 本当に濃い二日間でした(╹◡╹)

 

 

夢のような初夢

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 「一富士二鷹三茄子」とはよく言いますが、その謂れは、現在でも私達日本人の、ある意味崇敬の対象である富士山とそこから感じ取れる霊力に対する江戸時代における信仰の中心であった富士神社(浅間神社)、その中でも有力だった「駒込富士神社」の近くに立派な鷹匠の屋敷があり、当時の駒込は茄子の名産地としても知られていたため、川柳に「駒込一富士二鷹三茄子」と詠まれたことで、縁起の良い物として広く定着したということのようです。

 とは言え、そんな縁起物の初夢を実際に見たことのある方はどれくらいいらっしゃるのでしょう? 少なくとも私は見たことがありません。と言うか、長らく生きてきたにもかかわらず「こんな初夢を見たことがある」と言う明確な記憶もありません。

 そんな私ですが、寒さのためか、疲れのためか、元旦の夜は眠くて仕方なく、とても早くに床に就きました。

 そのためでしょうか、長ーい夢を見たのです。勿論すべてを覚えているわけではありませんが、とても長い夢を見たと言う感覚が残っています。

 現実離れした、辻褄の合わないことだらけなのでしょうけど、目覚める瞬間に脳がそれらを整理して、曲がりなりにも筋の通った風な物語として提供しているんじゃないかと、何の根拠もありませんが個人的には思っています。

 それはともかく、夢の中身ですね。

 いずれも断片的な記憶ですし、見た順番も曖昧ですが、白壁の大きな宿舎というか寮のような建物から、私の記憶が始まっているような気がします。何の施設なのかはよく分からないのですが、私はそこへの強い帰属意識を感じていましたので、海自を象徴していたのかも知れません。その一階部分の端の方に、何故か部屋を割り当てられた私は、狭い室内を覗いたあと、巨大な施設を探検して回りました。山の斜面を巧みに使った複雑怪奇な構造で、何階建てというような把握もできません。只々好奇心の赴くままに、迷路のような施設内を歩き回りました。なんだか面白いものがたくさんあったような気がするのですが、細部は靄の中に霞んでしまいます。

 そこからどう展開したのか、次の記憶は公園のようなところで、黒の演奏服を着用し立位のままで演奏する海自の音楽隊でした。

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 皆さんがとても楽しそうに、リラックスして演奏している姿から、遥かな思い出のような懐かしさと、夢のような心地よさを感じました、というか夢だし。

 集団から抜けて、向かって右の方に歩き出す隊員が目に入ったものですから近づいてみると「あ、岩田さん」

 マスクをつけていない素顔の岩田さんがとても懐かしかったのですが、そこでの会話が少し妙なものでした。

 細部は覚えてませんが、岩田さんはこんなことを仰いました「以前は、演奏会の後に敬礼を交わしたり、カジュアルな交流がありましたけど、最近、演奏会の取材がちょっと堅苦しい感じですね」

 夢の中では「そうかー」と応じていたと思いますが、覚醒めてみれば、そもそもずっと演奏会なかったし、不思議な会話なのですが、何しろ夢なので説明のしようもありません。

 夢は更に展開し、音楽隊のファンの皆さんと広い散歩道を歩いていると、川上さんと三宅さんのお二人に出会いました。歌っておられたのかどうかわかりませんが、川上さんは冬制服、三宅さんは何故か私服でした。マスクはしてません。

 で、私達はお二人と談笑しながら再び歩き始めたのです。向こうから、馴染みのファンの方々(誰なのかわかりませんが、夢の中では馴染みの方として認識されてました)が歩いてこられたので、どんな反応を示すのか、みんなちょっとワクワクしていました。

 ところが彼らは全く気付く様子もなくすれ違おうとするので、私が「○○さん!(どんな名前で呼んだのか、全く記憶にありません😖)」と呼びかけると、三宅さんたちに気付いた彼らは「うわ、何ですか、どうしたんですか」と、目を白黒させて、狼狽えるような驚きを見せたので、みんなで大笑い。

 なんだかとても楽しく、もう春がきたかのような温かい気持ちで目覚めることができました。

 夢ですから、支離滅裂な内容なのですが、目覚めたあと、温かさと、ちょっとだけ心の痛みを感じました。

 新年早々こんな夢を見るほど、海自音楽隊の演奏会の正常化を心待ちにしている自分を再発見できた一方、演奏会がなかったとはいえ、ブログもYou Tubeも、すっかりご無沙汰してしまっている自分にちょっと失望した感じでしょうか。岩田さんの言葉は、そんな自分の気持の表れではなかったかと思います。

 いずれにせよ、人生初と言ってよい初夢に、マスクを外した音楽隊の皆さんが出演されたことが、遠からず事態が終息し、あの日常が蘇る兆しという、夢のような初夢(だから夢だし😆)であってくれればと思わずにはいられません。

 つまらない話にお付き合い頂きまして、ありがとうございました😅

明けましておめでとうございます

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(Takchanさん撮影)
 またまた久し振りの投稿になりますが、皆様健やかに新年をお迎えのことと思います。

 大晦日に仕事を終えてから実家に里帰りしたのですが、久々に経験する氷点下10度の外気に凍りつき、明けて元旦は大雪に見舞われるなど、手荒い歓迎を受けました。

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 それはともかく、この2年ばかり、流行り病の前に右往左往させられましたが、今年こそは従前の生活が取り戻せることを切に願わずにいられません。

 そんな吉兆なのか、昨夜、とても不思議な、そしてとても楽しい夢を見ました。そう、初夢です。

 自宅を離れている関係で、スマホで書いているものですから、時間がかかりますので、その内容は明日、改めて書いてみようと思います。

 というわけで、本年もよろしくお願いいたします。

 

今日は何の日?(12月8日)/2021年版

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 本当に久しぶりの記事投稿になります。

 色々な事情から、なかなか記事を書くことができなかったのですが、今日、12月8日については、このブログを立ち上げてから、毎年記事を書いてきました。

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 そうです、我が国が現在の平和を享受し続けようとするならば、8月15日ではなく、12月8日のことを深く心に刻むべきだと思うからこそです。

 こんなことを言うと、「終戦よりも開戦に重きを置くお前は好戦的な軍国主義者で平和の敵だ」との声が聞こえてきそうなのが、残念ながら我が国の現状ではないでしょうか。

 我が国で幅を利かせている「平和主義」の実態は、「私たちは平和が大好きです。だから戦争や軍事は大嫌い。そんなことを考えるのもご免です。」といったところではないでしょうか。

 でも、以前も何度か書いたと思いますが、「平和」とは、戦争のない状態に過ぎませんので、戦争や軍事のことを考えずに、単独で創り出せるものではないのです。

 ですから、8月15日の終戦記念日を「戦争が終わって平和になったねー、よかったよかった。戦争中はそれは大変だったからねー」と毎年取り上げても、お祭り騒ぎ的な意味以上のものは得られないのでないかと思います。

 より重要なのは、国力も覚束ない中、強大な欧米列強を向こうに回し、無謀とも思える大戦争に突入せざるを得なかったのは何故なのかと言うことではないでしょうか。

 そのことを考える機会こそが、今日12月8日の開戦記念日なのですが、オールドメディアの扱いは非常に冷淡です。

 先の大戦戦勝国側、特に500年にもわたり、アジア諸国を植民地として支配してきた当時の欧米列強にとっては、何故日本があの戦争を始めざるを得なかったのかは、できれば歴史の闇に葬り去りたいことなのではないでしょうか。

 そして、そんな思惑に加担してきたのが、我が国オールドメディアだったのではないでしょうか。その背景には様々な事情があるのかも知れませんが、「平和主義」と言う誰もが異論を挟みにくいテーマを隠れ蓑にして、我々日本人の目から真実を遠ざけることで、偽りの歴史観を国民一般に根付かせる努力が連綿と続いているような気がします。

 我が国周辺の安全保障環境が、これまでになく厳しさを増しつつある今こそ、先人の苦衷や過ちもさることながら、その心意気を追体験することで、我が国が「国際社会において名誉ある地位を占める」こととはどう言うことであるのかを、私たち一人一人がよく考える必要があるのではないでしょうか。

 その意味で、今日12月8日の開戦記念日を、これからも大切にしていきたいと思います。 

高市早苗さんの国家観(2)

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 先日、「高市早苗さんの国家観」という記事を書きました。9月17日に行われた、自民党総裁候補の所見表明を拝見した際、各候補者の政策所見はいずれも素晴らしいものであったものの、高市さんが「国家の使命とは何か」について明確かつ力強く語られたことに感銘を覚えたものですから、そのことについて書いてみたものです。

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 この記事にコメントを下さった方がいらっしゃいます。

 先週は、ブログに向き合う時間がなかったものですから、チェックがすっかり遅れてしまいましたが、そこに書かれた質問を拝見して、もう少し書いてみたいという気持ちになりました。

 金森靭彦さんから頂いたコメントです。

1938年の佐世保生まれです、あなたの謂う『国家観』を教えてください。

 短いコメントということもあり、質問の背景となった趣旨の詳細は明らかではありませんが、私なりに考えますと、①「国家観」というものをどのように捉えているのか、②高市早苗さんの「国家観」をどう理解しているのか、という二つの内容を含んでいるのではないかと思います。

 考えてみれば、「国家観」という言葉の定義を確認することもせず、普通に「国家とは何か」「国家の役割は何であるのか」についての見方と理解して使っていたのです。

 そこで、改めて「国家観」とは何かを調べてみました。

 手元にあった「広辞林」を開くと、「国家観」という見出し語はありませんが、「〜観」については、「物の見方、見解」とありますので、言葉の上では「国家観」に特殊な定義があるわけではなく、国家とは何か、国家とはどうあるべきであるかという見方、見解を指すものだと言うことがわかります。

 一方、社会学の立場からは、様々な「国家観」が提示されているようです。

 つまり「野獣的国家」「人民的国家」「夜警国家」「軍事国家」「福祉国家」「国民国家」などで、国家がどうあるべきかについて個々人が抱く考え方は、これらの何れかに類型される場合が多いのではないかと思います。

 このように見てきますと、自民党総裁を目指す皆さん個々人が、どのような「国家観」をお持ちなのかは大変重要です。

 大変重要ではあるのですが、そもそも自民党の党員なのですから、個人の見解はさておき、党が掲げる「国家観」を支持しているはず、というか支持できないのであれば党籍を返上するべきでしょう。ましてや党の総裁を目指す皆さんなのですから、党人としての基本的な考え方に違いはない筈です。

 では、自民党が掲げる「国家観」とはどのようなものなのでしょう。

 自民党の綱領はあらゆる分野を網羅していますが、「国家観」の視点に絞って要点をまとめてみますと、次のようになると思います(文言の短縮等で、原文とは異る部分があります。)。

・「反共・反独裁」「日本らしい日本の確立」を目的に「政治は国民のもの」との原点に立つ

・日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す

・主権は自助努力で護り、国際社会での責務を果たし、一国平和主義的観念論を排す

・法的秩序の維持、外交・安全保障等、全ての人に公正な政策・条件づくりに努める

 詳細は、下のリンクから自民党のホームページを訪ねてみてください。

www.jimin.jp

 ご覧になるとお分かりだと思いますが、「反共・反独裁「や「新憲法の制定」などは明確に記載されていますが、「日本らしい日本」ですとか、「主権は自助努力で護る」などについては具体的な記述があるわけではありません。

 ですから、このような項目について、それぞれの候補者が具体的にどのように考えておられるのかは、やはり重要な点なのではないでしょうか。

 私は、過去の自民党総裁選が実際にどのように戦われてきたのかを詳しく知る者ではありませんが、「安全保障は票に繋がらない」とはよく言われてきたことでもあり、安倍晋三前総理を除けば、恐らく、この分野を正面から取り上げて総裁選に臨まれた候補者はほぼ皆無ではなかったかと思います。

 ですから、総裁選公示日である9月17日に行われた所見発表演説会の場において、高市早苗さんが、「わたくしは、日本を護る責任と未来を拓く覚悟を胸に、この自民党総裁選挙への立候補を決意致しました。わたくしは、国の究極の使命は、国民の皆様の生命と財産を護り抜くこと、領土、領海、領空、資源を護り抜くこと、そして国家の主権と名誉を護り抜くことだと考えております」と、迷いなく仰ったことに感銘を覚えたのでした。

 そして、国家のありように関する基本的な認識を基盤に、以後、各分野の政策についてご自分の政策構想を展開されたことで、日本をどのような国にしようとされているのかが大変わかりやすく伝えられていたように感じました。

 ところで、先ほども述べたとおり、自民党綱領には、「国家観」についてあまり具体的に記載されていないが故に、高市さんは「わたくしは、国家の究極の使命は・・・と考えております」と個人の見解を表明する必要があったわけですが、どうでしょう、「国家観」「国家の使命」が、個人の見解として語られなければならないという現状は、あるべき姿なのでしょうか。

 日本はどのような国であろうとしているのか、国際社会においてどのような役割を果たそうとしているのか、そして、そのために日本政府は何をなさねばならないのか、という国家としての根源的な問題は、憲法の前文に記載されていなければならないと思います。

 実際にはどうなのでしょう。

 我々日本人が、74年もの間、我が国を戦争の惨禍から守り続けて下さっている、神聖この上ない存在として崇め奉ってきた日本国憲法の前文に、どのような呪文が書かれているのかは、崇め続けてきた我々日本人であれば、もちろん熟知していることではありますが、確認のため、ここに書き出してみたいと思います。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 文言を追えば、何も言っていないに等しいのですが、あくまでこれは呪文ですから、内容はともかく何となく有難そうな響きがあれば足りますし、あとはただ唱えさえすれば、平和で豊かな国になることが約束されているのは間違いありません。

 と、皮肉を言っていても仕方ないので、本題に戻りますが、憲法前文をかいつまんで要約すると、次のようになるのではないでしょうか。

・日本国の主役は日本国民だよ。

・その日本国民は恒久の平和を念願するけど、そもそも日本以外の国は平和を愛しているんだから、平和を乱す可能性があるのは日本だけだよ。

・だから日本国民は、自ら戦争を起こさないことを誓うし、日本の安全は、平和を愛してやまない他の立派な国々にお任せするよ。

・そんな風に、おんぶに抱っこで生き長らえる日本を誇りに思うよ。

 実に立派な態度です。感動のあまり涙が出そうです。

 こんな醜い憲法前文を、いつまで自国の国家観として持ち続けるのか。実に情けないとは思いませんか。

 様々な新しい問題が持ち上がり、それへの対応をどうすべきなのか、厳しく問われている現在、こんな糞のような憲法をいつまで野放しにしておく積もりなのか、政治家には国民の厳しい問いが突きつけられているのではないかと思います。

 因みに、憲法改正に反対する勢力に対する批判の記事を2年前の憲法記念日に書きましたので、興味のない方も是非お読みいただければと思います。

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